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2008年 01月 10日
月刊オルタの12月号で、パレスチナの特集が組まれています。日本政府がパレスチナで進めている 「平和と繁栄の回廊」 構想という、ODAのプロジェクトに関しての特集です。
パレスチナは日本からはどうしても遠いのですが、この計画は、良くも悪くも「パレスチナ問題」 を少し身近に感じるとっかかりになるのではないでしょうか。何と言っても、その計画には私たちの税金が使われるわけですから。平和と繁栄のためと美しく銘打たれているこの計画が、実際にはどのような問題をはらんでいるかを問う特集になっています。 特集の中で、占領の実態を語るため来日していたパレスチナ人の方へのインタビュー記事を担当させてもらいました。オルタ編集部より快く転載の許可をいただきましたので、現地からの声として読んでみていただけたらと思います。彼の言葉は軍事占領下の現地の状況を垣間見せてくれます。 特集の他の記事でも、さまざまな視点から回廊構想を検討していて、このプロジェクトを詳しく知ることができます。ご関心のある方は、ぜひご覧になってみてください。 月刊オルタHPはコチラ。 オルタは、コトトイ茶屋を開催しているNoah's Cafe でも販売しています。 ※ ※ ※ ※ 真の支援への転換は可能か? 話◎ファトヒ・クディラート ■ 検問という日常 ■ 私は一九六七年にヨルダン渓谷北部のバルダラ村で生まれました。イスラエルによる占領が始まる数ヶ月前のことです。現在はその村から一五キロほど離れたトゥバスという町に移り住んでいます。占領政策のため、村には生活のための十分な水や電気がなく、検問所によって移動も制限され、生活や私の仕事を続けるにはとても困難な状況でした。 二〇〇二年、イスラエル政府がパレスチナの占領地に隔離壁を作ると宣言した時、私はパレスチナ農業組合で活動していました。私たちはパレスチナのNGOと協議をし、壁の建設と戦う決意をしました。その運動を“Stop the Wall”と呼びましたが、今や壁は占領地の多くの地域ですでに完成してしまったので、“Tearing down the Wall”(壁を解体する)と運動の名前を変えなくてはいけないのかもしれません。 ヨルダン渓谷がイスラエルにとって重要なのは、そこを支配することにより、パレスチナと外の世界との間の移動を管理し、私たちを巨大な監獄に押しとどめることができるからです。 そしてヨルダン渓谷は、他の占領下のパレスチナから主に五つの軍事検問所によって隔離されています。渓谷に行くには、それらのうちの一つを通過しなくてはなりません。検問所は朝の六時に開き夜の九時に閉まりますが、もしイスラエル側に「セキュリティ上の理由」があったり、彼らの祝日である場合には、検問所は通れません。 検問所では、通行人を検査するイスラエル兵に「来い」と呼ばれるまでに、三、四時間待つこともあります。そして、ポケットやバッグの中身、持っている書類を調べ上げられます。服をめくり、クルッと回れと命令されます。これは特に女性の場合は、我々パレスチナ人にとって非常にデリケートな問題です。また、アラブやムスリムであるというだけの理由で我々を憎み懲罰を科すような兵士もいます。私は今ここで秘密を語っているわけではありません。パレスチナに来れば誰もが目にすることができる光景です。 ■ 土地と資源の強奪 ■ 現在、ヨルダン渓谷の九六パーセントもの土地はイスラエルによって支配され、そこではパレスチナ人はイスラエルの許可なしには自分の土地を耕すことも家を建てることもできません。しかし占領開始以来、家や学校を含め、どんなインフラ設備の建設に対しても許可は出ていないのです。 いったいどのように我々の土地が奪われるのか、あなた方には想像できないと思いますが、例えばこういうことです。ある時イスラエル軍が軍事訓練の名目でやって来て、我々の土地を「軍事閉鎖地域」に指定します。そして、イスラエルには「三年間耕作していないパレスチナの農地は没収してよい」という法律があるのです。しかし、軍事閉鎖地域に指定された土地には私たちは近づくことができないのに、どのように耕せというのでしょうか? そしてイスラエルは我々の土地を「合法的に」手にするというわけです。さらにイスラエルには「政府は非ユダヤ人に土地を与えることができない」という法律もあります。つまり、我々は最初の法律で自分の土地を没収され、次の法律によってその土地を取り返す権利も失うのです。そしてイスラエル政府は、新たにヨルダン渓谷にやってきたユダヤ人、つまり入植者に対して我々の土地を与えるというわけです。とてもシンプルですが、あなた方の常識では考えられない状況でしょう。 イスラエルはまた、占領以来すべての水資源をコントロールしようというプランを徐々に導入してきました。そのためヨルダン渓谷では、パレスチナ人はほとんどの水資源を奪われた状態にあります。私の村では、イスラエルにより二つの巨大な井戸が作られ、それらが汲み出す大量の水のために、村の浅い井戸は干上がってしまいました。しかし私たちには、新しい井戸を掘ることも、古い井戸を修繕することも認められていないのです。かつて私たちの農地を潤していたヨルダン川の水も、占領以来イスラエルの管理下に置かれ、我々はそこから一滴たりとも水を得ることはできません。そして今や、我々は水をイスラエルの企業から買わざるを得ないのです。 これらの差別的な占領政策は、多くの場合、セキュリティの名のもとに行われます。しかし、私が夜九時以降に家族のもとに帰ることが、なぜセキュリティに反するのでしょうか。なぜセキュリティの名のもとに私たちから水を奪い、家や学校の建設を禁じるのでしょうか。 ■ 占領地経済―二重の搾取 ■ パレスチナ人から水と土地を奪いながら、イスラエルはこれまでヨルダン渓谷に三六の入植地を建設してきました。それらはヨルダン渓谷の面積の半分を占めています。そしてイスラエル政府は、入植者に対して多大なサポートをしているのです。彼らは家を提供され、教育・医療は無料、そして七万平方メートルの農地や農業用水も無料で与えられます。またイスラエルの通信や輸送、電力、飲料水などの企業は、ヨルダン渓谷の入植者に対し七五パーセントの割引をする義務があると法律で定められています。 現在、入植地のなかで多くのパレスチナ人が働いています。彼らの多くは土地を奪われ仕事を失いましたが、ヨルダン渓谷の外との出入りの制限が厳しく、他の土地で働くことは困難なのです。自分の農地で働き抵抗を続ける人々も、そこから十分な収入を得ることは難しく、家族のうちの誰かが入植地での労働に依存せざるを得ないという構造があります。 占領地パレスチナはイスラエル製品にとって巨大な市場であり、そしてパレスチナ人は彼らにとって非常に安価な労働力なのです。イスラエルは、パレスチナへの人とモノの出入りを支配し、パレスチナ社会を奴隷へと変えていくのです。パレスチナ人を使いたいように使い、売りたいものを売りつけることができるのです。 ■ 「回廊構想」をめぐって ■ ヨルダン渓谷への日本の開発計画に関しては、未だに何も実施されてはいません。しかし私達はあの計画を、真剣に占領下のパレスチナ人を支援するものとは見ていません。日本政府はこれを「(イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、日本の)合同事業」と呼びますが、占領する者と占領される者との間で、一体どんな協力ができるのでしょうか。 そして、計画のなかで設置されるという「農産業団地」によって、どのような発展がもたらされるのでしょうか。私たちを「平和な企業」のための安価な労働力にしてくれるということですか? しかし、占領下で自分の土地も水も持てない人々にとって、それはいったいどんな発展なのでしょうか。 おそらく、この計画はいくらかの裕福な人々やイスラエル企業を潤すことはあるでしょう。しかし、それはパレスチナのコミュニティを助けることにはなりません。もしあなた方がパレスチナの草の根の人々を支援したいのであれば、そこに直接行き、彼らがどんな助けを求めているのかに耳を傾けてください。 ヨルダン渓谷に日本政府の開発計画があるからという理由で、イスラエルが占領政策を変えることはあり得ません。実際にはこの計画はイスラエルの政策と協調しつつ作られています。もし日本政府が占領地で何かをしようとしたら、それがA地区(※行政・治安ともパレスチナの管理下にある地域。渓谷全体の約三・五パーセント)であろうと、イスラエルの許可なしには何ひとつできないのですから。そして、この許可はイスラエルの利益、占領の存続に資する場合にのみ出されます。我々は幻想を抱くのを止めるべきです。 占領当局との合同事業を通して働くというのは、パレスチナ人にとって良い選択ではないのです。今日、仕事が必要だという理由で「さあ、占領者との合同事業で働こう」、そして明日は「食べるためにイスラエルの警察に仕えよう」、さらにその次には「生きるためにイスラエル軍に仕えよう」とでも言うんですか? パレスチナ社会は確かに仕事を求めていますが、それは占領当局を通しての、奴隷としての仕事ではありません。 ■ 「月で起きていることではない」 ■ 現実的には、日本政府がイスラエルの政策に対して影響力を持たないことは分かっています。そうであれば、もしこの開発計画がパレスチナ人を助ける確証がないのであれば、その資金は使わずにおいてください。その資金がイスラエル側に渡ることを私たちは望みません。そうではなく、パレスチナの人々を直接支援してください。たとえば学校を建てることを通して。もし学校を建てることができないのなら、占領下のパレスチナの若者に奨学金を出して日本で学べるようにしてください。 もしくはイスラエルの占領や犯罪行為に対して異議を申し立ててください。もし新聞に「駐パレスチナ日本大使、イスラエルが今月一〇〇人のパレスチナ人を殺害したことを非難」という記事が出るようなことがあれば、私は本当に嬉しく思います。あなた方はイスラエルを止めることはできないでしょう。しかし「NO!」と言うことはできます。あるいはイスラエルへの支援を止めることはできます。 イスラエルのなかにも占領に反対している人々はいて、彼らのことはとても尊敬しています。けれど残念ながら、彼らはイスラエル社会において意味のある規模ではありません。それはイスラエルの選挙結果を見ても分かります。ほとんどのイスラエル人は占領によって利益を得ており、イスラエルが内側から変わることは不可能なのです。南アフリカは内側からは変わりませんでした。なぜなら皆がアパルトヘイト体制のおかげで利益を得ていたからです。国際社会の経済制裁の後に、南アフリカのアパルトヘイト政策は廃止されたのです。 パレスチナにも国際的な介入が必要なのです。私たちパレスチナ人は国際社会の一員であり、あなた方も同様です。黙っているのは恥ずべきことです。アラブにこういう言葉があります。「隣の農園が火事になれば、自分の農園のために水を備えろ」と。今、中東は火事に見舞われています。私たちはその火を消さなくてはなりません。それは月で起きていることではないのです。それは私たちの周りで起きているのです。 私たちは平和を望んでいます。そしてパレスチナ人にとって平和とは、まず何よりも占領が終わることです。世界の他の場所に生きる人々のように自由に働き、移動し、人生を築き、次の世代に希望を与えることです。それが私たちの求めていることなのです。 (取材・構成/大月啓介) ファトヒ・クディラート/一九六七年生まれ。現在、「パレスチナ反アパルトヘイト・ウォール草の根キャンペーン」のヨルダン渓谷地域コーディネーター。同地域において深刻な土地収用等の人権侵害を告発し、ユダヤ人入植地の農産物のボイコット運動を提唱・推進している。
by lusin
| 2008-01-10 12:06
| パレスチナ/イスラエル
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