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2005年 07月 08日
ほんの短期の予定であった今回のアチェ取材は、興味深いことがつぎつぎと現れて、予定がだいぶ延びてもう3週間になります。が、まもなく日本に一時帰国の予定。 取材は既に昨日で終えて、今は諸々の雑事をしつつも、一息ついているところです。
いろいろと書きたいことはあるのだけれど、慌しさと疲れにかまけて放置しておりました。おいおい、思い出したように時間差日記で、書ける範囲でアチェのことに触れるやもしれません。 前々回、津波のちょうど1週間後に現地に入りました。その時は、依然としていたるところに遺体が積まれ、あるいは放置されていました。今当時を思い出してみて、まず強烈によみがえるのは、何よりもまずそこに漂っていた、「臭い」です。 そして腐乱した遺体の山を見ても、とりたてて特別な感情が湧いてこなかったことも、思い出します。 あまりの光景に、思考も感情も、一時停止してしまっていたのかもしれません。 が、緊急のレポートで、当然ながら何かはしゃべらなくてはいけなかったので、何かしらはしゃべったけれども、もし仮に、その時「どうですか?」と聞かれたら、返答は「・・・・」 であったと思います。 当時、来る日も来る日も遺体回収を行っていたインドネシア軍の兵士たちも、感情を消して、「モノ」としてその膨大な遺体を見ていたように見受けられました。そうすることで、何とか平静を保っていたのかもしれません。 その後、一時帰国したとき、当然ながら、「どうだった?」ということを度々人に聞かれましたが、どうにも、うまく話せず、もどかしかったことも思い出します。 やはり、それを聞く人は、津波の破壊力が如何ほどか、犠牲者がどれほどか、どのような悲劇がそこにあるか、ということを聞いているのだろうな、と勝手に解釈していたのだけれど、そのような話はうまく口から出てこず、いつも困ってしまっていました。 その後またすぐ、2月にアチェを訪れてみて、津波直後に自分が感じていた困惑や、一時帰国時に感じたもどかしさが何であったか、自分が見ようとしていたのが何であったか、ということが、おぼろげながら分かってきたように思います。 ところで、前回分(放映済み)、今回分、そして再度(津波1年後?)現地取材するものをまとめて、50分のドキュメンタリーとして放映の予定(未定)です。 この有史以来最大の天災は、当然ながら、不幸にも津波の犠牲になってしまった人々のものであるよりははるかに、、残された人々、生き延びた人々の物語の一部なのだと思います。 そして私は、ここアチェにて、明るく大らかな人々のその物語の中で、「それでも生きている」人間の業や、あるいは人間の強さはこれほどまでか、ということに、ひどく驚かされています。
by lusin
| 2005-07-08 14:30
| あれこれ
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