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2011年 03月 26日
ガザで政権を担うハマスがどう反応するのか、がこのデモの焦点だった。デモの数日前にハマスの治安担当者に聞くと、彼は「デモ参加者に暴力をふるうことはあり得ない。我々が市民に暴力をふるう?まさか!」と言い切っていた。まあ聞かれりゃそう言うだろうけど。今度会ったら、どんな顔するのか見てやろう。
が、ふたを開けてみると、銃こそ使わなかったが(威嚇射撃はあった)、ハマスが選らんだのは実力行使だった。「もっとひどい対応を予想してたよ」という人もいれば、「まさか力でねじふせてくるとは思わなかった」という人まで。いずれにしても、ハマスはとても分かりやすい行動で、彼らの姿勢を示すことになった。 それを見た後でも、中心になっている若者たちはこの機運を消してはいけないと、当然デモを続けるつもりだった。翌日の朝、学生たちはその日のデモの打ち合わせをするためにアズハル大学(ファタハ系の学生が多く、今回のデモに深く関わる学生も多い)に集まった。が、さあ広場へ移動、という段になると、「それはまかりならん」と警察に物理的に大学内に封じ込められてしまった。 「ふざけるな!」という学生たちによって、構内でふたたび「統一」を呼びかけるスローガンの大合唱が始まった。しばらく緊迫したにらみ合いが続いていたたのだが、ここでも最終的にハマスは力に訴えた。女学生も殴られていた。「大々的に立ち上がり、蹴散らされたその翌日」がどうなるのかは決定的に重要だったのだけど、ハマスは見事に抑え込んでしまった。 それほど深くコミットしてはいない多くの人たちは、「ああ、やっぱりだめだったか」と、ここで大きく退くことになる。「さあ、ひと騒ぎしたし日常にもどろうか」と。その翌日も、翌々日も、中心の若者たちは何がしかの試みは続けたのだけど、集まる人数も尻すぼみになり、今に至る…。燃え上がり始めた火は、鎮火寸前。 中心メンバーは、「あきらめたわけではない」と言うけど、落胆はとても深いようで、見てていたたまれない。ここで、「なぜエジプトでできたことが、ガザではできないのか」という疑問が出てくる。彼らはみな、エジプトやチュニジアを見て自分たちもと意を決した、と言う。そして実際に立ち上がった。まだ死者が出たわけでもなく(暴行されて流産してしまった女学生はいる)、銃撃にまで至っているわけでもない。びびるにはまだ早い、と失礼ながら思う。そもそも、彼らはインティファーダや激しい空爆下でも生き抜いてきた人たちなのだから、びびり呼ばわりするのは失礼だろう。 いろいろな意見がある。ひとつには、遠く離れた西岸の政府との「統一を」、という掛け声は、ちょっとあいまいに過ぎて、爆発力に欠けるんだと思う。倒すべき体制や、引きずりろすべき指導者がいるわけではない。ハマスが評判よくないとは言え、力で転覆させたいほどに不満が鬱積しているわけではない。そもそも自分たちが選挙で選んだ政府だし、その政府を変えたいのなら、掲げるべきスローガンは「選挙を!」だろう。 そして当然ながら、今もハマスの支持者は多く、ここで「反政府(=反ハマス)」を正面から掲げたら、それこそ内戦になる。いや、今はもうガザの街中には武器はないので(ハマスが刀狩で一掃した)、単に弾圧されるだけだ。ちなみに、通りから有力部族の所持する武器を一掃したことは、反ハマスの人ですら認める、ハマスの大きな功績だ。おかげで実際に、一般的な治安はとても良くなった。 さらに、真の敵であるイスラエルを向こうにみて、内輪でこれ以上もめごとを大きくしてはいけない、という意識もある。口でなんと言おうが、統一などしたくないだろうハマスの意志を変えるには、デモ側もそれなりに腹を決めなくてはいけない。実際、当初は統一の合意がなされるまで広場に留まる、と言っていた。 が、しかし。先に、彼らをびびり呼ばわりしては失礼と書いたものの、彼らにとって、実はハマスはイスラエルよりも怖いのだ。4年前の、ハマスとファタハ支持の有力部族との「内戦」では、後者がしっぽを巻いてイスラエルに助けを求めたという例もある。 今回のことであらためて、この小さいガザ社会の中にすら、無数の分断があるということが露わになってしまった。ガザと西岸の統一どころか、ガザの中すらバラバラ、そもそもハマスですら一枚岩ではなく、相当にややこしいことになっている。 その分断は、彼らがよく言うように、イスラエルによって意図的に作られてきたものでもあるし、同時に彼ら自身によって深められてきたものでもある。だからこそ、「この馬鹿げた状況を何とか変えよう」と立ち上がった人々の落胆ぶりは、いっそう大きいように思える。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() #
by lusin
| 2011-03-26 02:39
| パレスチナ/イスラエル
2011年 03月 25日
さて、前々回に書いた、「3月15日」のデモ。今はもう、それどころではない状況になってしまったのだけども、書いておきます。
「3月15日」デモは、誰しもの予想をはるかに超えて、腰を抜かすくらいの規模に膨らんだ。まさに老若男女、北から南から。(といっても、ガザは小さい。23区の6割くらい) 前日の14日から、ガザ市の中心部の「ジュンディ・マジュフール(無名戦士)広場」でデモが始まり、お祭り騒ぎになった。みなさん、はっちゃけすぎ。少なくともハマス政府になってから、公の場でこれだけ大騒ぎするのを見たのは初めてだった。 当日を前にフライングで始めてしまい、待てん人たちだなあ…と思っていたら、これは実際には、デモ運営側の戦略だった様子。当日を待つと、ハマス政府に前日のうちにテントを立てられ、がっちりと広場を押さえられ、乗っ取られ、コントロールされてしまう…と。なので、その前に出し抜いてがつんと始めてしまえと。だとしたら、それは見事に成功したことになる。が、同時にそれはハマスにとっては、かなり屈辱的だったはず。 翌日は、朝からなかなか平和的な雰囲気でデモ、というか祭が始まった。しかし、ハマスのサポーターが大挙してハマスの旗、そしてハマスとパレスチナの旗をくっつけた奇妙な旗を掲げてやってきた。これは、「ファタハとハマスの和解」、「党派を超えてひとつのパレスチナを」 という呼びかけに対して、喧嘩を売っているようなものだ。その頃から、ちょっと微妙な雰囲気になってきて、その後ハマスの旗を掲げる人々と、パレスチナの旗を掲げる人々が対峙して、押し合いへし合い、小競り合いが始まった。 パレスチナ側から、「(ハマスの旗を)降ろせ!降ろせ!」「パレスチナ(の旗)だけ!」の大合唱が起こり、一時、かなり緊迫したけれど、そこはなんとか治まった。しかし、ハマスに対してああも公然と異議申し立てをするのも、今まではあり得ないことだ。勢いとは恐ろしい。 その後、デモを乗っ取って「官制デモ」にしてしまおうというかのようなハマスの面々を残して、多くが別の空き地に移動して、そこでお祭り騒ぎを始めた。小さな輪がいくつもできて、歌い、掛け声をかけ、励まし合い、楽しんでいる。彼らは「(エジプトの)タハリール広場をガザにも!」 ということを強く意識していて、雰囲気としてはタハリールもこんな感じだったのだろうかな、と思わされた。 彼らに対して、「5時までに退去しろ」 というハマスからのお達しがあったものの、その後もほとんどの人は動く様子はない。依然としてにぎやかにやっているものの、やはり5時が近づくにつれ、人々に緊張の色がわずかながら見え始めた。が、6時を過ぎても何事もない。空き地には、どうやら大丈夫そうか…?という雰囲気が漂い始めた。 が、その後に起こったことには驚かされた。ハマスは行動を通して、自分たちの姿勢をあからさまに見せてしまった。実力行使に出たハマスは、女性もジャーナリストも構わずに暴行を加え、カメラやテープを没収し、デモ参加者を蹴散らした。 つづく) #
by lusin
| 2011-03-25 19:27
| パレスチナ/イスラエル
2011年 03月 17日
前回、「嵐の前の静けさ」などと書いて、翌朝起きたら、パレスチナに嵐ではなくて、日本を地震と津波が襲っていた。メールで小学校からここに 「至急お子さんを迎えにくるように」 と無茶な連絡が届いてて、何だ何だとネットでニュースを見て知った。
当然ながら、すぐには家族と連絡とれなかったのだけど、幸い家族はみな無事で本当にほっとした。でも、ひどい被害を受けた地域の映像などを見るに(UstreamでNHKを見てた)、いたたまれなくて、どんどん重苦しい気持ちになっていった。 自分が感じた衝撃を共有して、同じ立場で話し合える人が隣にいないということが大きかったと思う。ここの人たちに話しても、それは「遠い場所」のことで、現実味がないのは仕方がない。パレスチナも、日本人にとっては同じく 「遠い場所のこと」 であるように。 それでも、本当にたくさんの人がここで日本のことを気遣ってくれる。その一つ一つはとても小さいことなんだけど、ものすごく嬉しいし、救われる。そのことが意外だった。ここでは僕はいつもパレスチナ人を「心配する」「気遣う」側だったんだな、という当たり前のことに気付いた。 家族を失ったり、家を破壊されたり、あるいは故郷を追い出されたまま何十年も難民生活をしたり。そういう人たちに会って話を聞くと、「話を聞いてくれてありがとう」 と言われることがある。わざわざ、しんどい話を掘り返して聞かせてくれと頼んでいるのだから、礼をするべきなのはもちろんこちらのはずなんだけど。 彼らは、「世界から見捨てられている」という思いを持っている。実際にはパレスチナは他の紛争地と比べれば、はるかに大きな注意を引いている場所なのだけど、当事者からすると 「なぜ我々を見放すのか」 と感じるだろう。実際、「国際社会」 は彼らを見捨てているのと同じような行動しか取れていないし。 だからこそ、実際に足を運んで、「注目している」という姿を見せることは、彼らにとってはささやかな支えのひとつになっているんだということが、だんだん分かってきた。 もっとも、他の被災地や紛争地でも聞かされる 「メディアが取材して、何か俺たちの状況が変わったか?」といういらだちの声は、もちろんここでも耳にするけども。 そして今回、その彼らから、日本の大災害に対して哀悼の言葉、励ましの言葉をかけられ続けている。もともとなれなれしい、もといフレンドリーな人たちだということもあるけれど、それでも道ですれ違っただけの人含め、本当に数えきれないほどの人たちが気遣ってくれた。 「君はチャイナか、ジャパンか?」 と声をかけ、わざわざ確かめて、日本人だと分かると、いろいろな気持ちを伝えてくれる。これはすごいことだと思う。たとえば。ガザが空爆に襲われて、毎日何十人という命が奪われている中、日本でアラブ系と思しき人が道を歩いていたら、声をかけ、出身地を確認し、同じことができるだろうかと考えさせられた。少なくとも僕は2009年のガザの「戦争」の時、そんなことはしなかった。 「遠くにいるけど、何もできないけども、気にかけている」 という姿勢に、わずかながらでも救われてきた彼らは、そのことの意味をよくよく知っているんだろうなと今回あらためて思った。そして僕自身は実際、そういう彼らの気持ちにすごく救われている。 ![]() #
by lusin
| 2011-03-17 00:56
| パレスチナ/イスラエル
2011年 03月 11日
はい、長らく休眠していたブログ、さりげなく再開することにします。
アラブの国々が大変なことになっていますが、本丸であるパレスチナ・イスラエルは穏やかです、今のところ。僕は今ガザにいるんですが、本当に平穏です。ごくたまに、思い出したようにイスラエル軍の単発の空爆があるくらいです。 が。やはりここでも、若者たちがこの流れに乗らん、と行動を起こそうとしてるようです。今月の15日にデモが予定されています。 言いだしっぺは一体どんな若者たちなんだろう…と思ってちょっと調べてみたら、良く知った兄さんもかなり深く関わってました。でも彼はガザではかなり変わり種なので、もし中心人物が皆その手の若者だったらなかなか賛同は得られないのではと思い、会う人会う人に、「15日」のこと知ってるか、どう思うか、 と聞いています。タクシーの運ちゃんから社長まで、小学生からじいさままで、ファタハのコアなメンバーからハマスの役人まで、とりあえず会った人には聞いてます。 一週間前には、「なんだそりゃ?」という反応も結構あったんですが、日に日に知れ渡ってきて、昨日あたりから全員が「ああ、15日のことか」という反応です。「もちろん知ってる。反カダフィのデモだろ?」と知ったかぶりする兄さんが約一名いた以外は、皆がそのデモのお題目もちゃんと知っていました。デモが呼びかけるのは、他のアラブ諸国のデモのように政権打倒や王室批判ではなくて、「パレスチナの統一」です。 パレスチナは今、二つにぱっくりと分裂しています。もともと地理的にはヨルダン川西岸とガザという二つの地区に分かれているんですが、今は内輪もめによって政治的にも完全に分断されています。その結果、パレスチナには現在、西岸の自治政府と、ガザのハマス政府という、二つの政府が存在するというおかしなことになっています。15日のデモはその統一を、「党派とは関係のない、一般の人々の立場から」訴えるとのことです。 数日前は、かなり冷めた見方をする人が多かったんですが、昨日今日はヤル気な熱い面々にもけっこうお目にかかりました。「ガザにもタハリールを!」とまで言う人も。つまり、長期戦覚悟と。 統一自体は、ファタハもハマスも表向きには求めているので(実際ハマスも統一を呼びかけるデモをガザで先週行い、今日も予定しています)、大っぴらには文句をつけられないはずですが、そこはやはり一筋縄ではいかなそうです。ハマス政府はちょこちょこ「15日」に関わる者を拘束、尋問しています。曰く「外の勢力がガザを混乱させようと画策している」とのことですが、内情を知る者によると、その真意はともかく、どうやらハマス政府にそう受け取られても仕方ない要素は、実際にあるようです。 何にしても、事がどういう展開をたどるのか、ハマスがどのような対応をするのかは、さっぱり分からず。もっともエジプトのことだって、何が何故どのように起きたのか、未だに本当のところはよく分からないんだから、まあ当然かもしれないですが。 それにしても、もし人々の要求が両政府に受け入れられて、晴れて統一政府ができたとしても…それはマイナスからやっとゼロの地点に戻ったというだけなんですよね。パレスチナ人にとっての本当の目標である、イスラエルによる占領の終結は、まだまだはるか遠いところに。 でも、しかし。中東に吹き始めた暴風は、パレスチナには追い風で、イスラエルにとっては逆風であるはずで(たぶん)、その流れの中では何が起こるかは分からんなと思いつつ、成り行きを見ています。 ![]() #
by lusin
| 2011-03-11 07:35
| パレスチナ/イスラエル
2010年 02月 04日
今日から、福岡でガザの写真展が始まっています。
会場のEL TALLER のサイトはこちら。 お近くの方は、ぜひ足を運んでみてくださいませ。 14日(日)の16時から、会場でトークをする予定です。 その翌日の15日には、北九州市立大学の学生さんの招きで、 北九州でスライドトークをします。17時半からです。 北九州は初めてなので楽しみです。 小倉出身の友人情報によると、バイオレントかつ素敵な町だとのことですが、 本当かどうか確かめてきます。 会場の大學堂はコチラ。 まだ先ですがついでに告知です。 昨年11月にやったばかりですが、 またしても高円寺の素人の乱12号店でトークをします。 今度はフォトグラファーの高橋美香さんと一緒にやります。 3月5日(金)の、多分19時くらいからです。 ちなみに、初めて来る者みなが遭難するでろうと思われる、 会場へのけもの道はこんな感じですが、 12号店はとても分かりにくい場所にあるので、 まあ分かるだろうなどと油断せずに心して来てくださいませ。 僕は初めて行った時には、なかなか辿りつけずに右往左往しました。 詳細が決まったらまた告知します。 ![]() #
by lusin
| 2010-02-04 17:45
| パレスチナ/イスラエル
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