カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2011年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 03月 2007年 01月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 フォロー中のブログ
MEDITATE ONLINE 高遠菜穂子のイラク・ホー... from ayako やんわりまったり ハムスターパゾ 今もス... ニュースの現場で考えること 写真でイスラーム 中東イベント情報 イノレコモンズのふた。 イスラムアート紀行 今日のできごと ブルーテント村とチョコレート 旅と絨毯とアフガニスタン ariphoto diary 『ウシゴコロ』 東京・高円寺カフェ&バー... リキシャで日本一周(写真... きらきらひかる 246表現者会議 ジモティーでいこう。 リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2009年 08月 28日
野暮用があり、ガザを出てエルサレムに一泊してきた。
ガザからエルサレムまでは、車で1時間半ほど。 ガザの中に長くいると、あの封鎖された異常な状況にもかかわらず、 あたかも、はじめから世界はこうであったかのような錯覚に陥る。 でも一たびそこから抜け出すと、 自分がいた檻の中の異常さを、感覚としてあらためて思い知る。 一瞬のうちに、壁の内側に閉じ込められた人々の世界から、 彼らを閉じ込めている人々の世界へと移動する。 檻の中から、檻の外へ。 閉じ込める側の人々は、そんな監獄など存在しないかのように、 何食わぬ顔で暮らしている。 エルサレムのユダヤ側の街の、なんと開放感あふれ、 華やかで、楽しげなことか・・・。 娑婆の空気を、つかの間味わう。 いつも大混雑のヨルダン川西岸側のパレスチナ国境とは違い、 ガザとイスラエルの出入り口、エレズ検問所は、 いつも閑散としている。 まあそれが、封鎖の封鎖たるゆえんなのだが。 パスポートコントロールのブースは12もあり、 監視カメラもこれでもかというほど設置されてるけど、 このガラーンとしたターミナルでは、 どちらも無用の長物っぷりをさらしている。 「イスラエルにようこそ」 なんて書いてるけど、たちの悪い冗談だ。 かつてエレズはただのチェックポイント風情であったようだが、 いまや立派な「国境ターミナル」が完成している。 もう、「あちら側のことは、与り知りませぬ」 というわけだ。 いつもは一人さびしくガザを出るのだが、 今回は、20人ばかりの老若男女のパレスチナ人たちと一緒だった。 ほとんどがイスラエルに治療に出る病人と、付き添いの家族。 ガザを出られる彼らは、幸運な人々だ。 パレスチナの保健省によると、封鎖によってガザを出ることかなわず、 必要な治療が受けられずにに亡くなった人々は、 今月までで344人にのぼるとのこと。 ガザの人たちは、というかもちろんどこの世界であろうと人間は、 あんな暮らしを強いられるべきじゃないし、 イスラエルの人たちも、人間をまるで家畜のように扱うことを、 自分にも、自分の大切な人たちにも許すべきじゃない。 それに、外の世界も、それを見てみぬふりするべきじゃない・・・。 あんまり 「べき」 という言葉は好きじゃないが、 そう言わずにはいられないことも、もちろんある。 #
by lusin
| 2009-08-28 07:27
| パレスチナ/イスラエル
2009年 08月 20日
なんだか周りの人々もそわそわしだしていますが、
もうすぐイスラム世界ではラマダン(断食月)が始まります。 僕がイスラム圏で初めて経験したラマダンは、2001年のパキスタンで、 その年のラマダンは11月~12月にあたってました。 イスラムの暦では、西暦に対して毎年約11日ずつずれていくので、 その後、ラマダンの時期はじりじりと夏に近づいてきたわけですが、 今年はついに8月のラマダンです。 夏のラマダンです。過酷です。 このむやみに暑い中、日の出から日没まで飲み食い禁止です。 非ムスリムには、とても正気の沙汰とは思えません。 ・・・というわけで申し訳ないのだけど、ちょっと付き合いきれないので、 しばし、僕は後ろめたい日々を過ごすことになります。 でも、あの毎日のお祭りムードはなんだかとても楽しいし、 ムスリムにとって神聖な時期なのでみな穏やかになるし、 日没後のごちそうにあちこちお呼ばれするので、ラマダンは大好きです。 #
by lusin
| 2009-08-20 07:27
| パレスチナ/イスラエル
2009年 08月 18日
前回の続きです。
さて、奇しくも出くわしたハマス映画の監督は、 「下町のおっさん」 風であった。 実際に住まいはガザの下町とのこと。 かつてドイツで映画を学んだと聞いていたので、 もっとインテリ風の人かと思っていたのだが。 おっさん、もといマジッド・ジュンディヤ監督は、 気さくに立ち話でいろいろ話してくれた。 映画の製作過程や大変だったことなどを聞かせてもらった後、 せっかくの機会に率直にたずねてみた。 「この映画はパレスチナのネガティブなイメージを広めることになりませんか?」 監督は若干語気を強めて、こう言った。 「私たちは、私たちを殺す者を殺すのです。 イマッド・アケルが言ったように、 『イスラエル人を殺すことは、神を讃え神に近づくこと』 です。 ユダヤ人たちは、強者の側にいます。 だから世界は彼らの側につくのです。 パレスチナ人は弱者とみなされています。 私たちは今、常に『犠牲者』であったパレスチナのイメージに、 抵抗しようとしています」。 「下町のおっさん風映画監督の顔」 は、「ハマスの顔」 になっていった。 その後もハマス・テイストの演説が続いたので、 話題を変えて、カンヌ進出について聞いてみた。 一転、監督は顔をほころばせ、今後の野望を語ってくれた。 「世界中の映画祭で上映したいと思っています。 イタリア、ベルリン、アメリカでも上映したいです。 我々パレスチナ人がここにいる、ということを、 我々は弱者ではない、ということを伝えるために。 もし日本にも映画祭があれば、それにも参加したいです」。 日本の映画祭、ガザ発の映画、と言えば、 山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された、 アブドゥッサラーム・シャハダ監督の「レインボー」がある。 マジッド監督は彼のことはよく知っていると言う。 「彼のパレスチナ問題を取り上げた作品には感謝している」 とのことだが、「レインボー」について聞いてみた。 「あの映画の中のパレスチナ人のイメージは、まさに犠牲者ですよね。 あなたは、そのイメージに共感しますか?」 ジュンディヤ監督は、ちょっと言いにくそうにしつつも、 その後、きっぱりとこう言った。 「私は個人的には、パレスチナ人を犠牲者として見ることは好みません。 私は、パレスチナ人を強者、戦士、英雄として見たいと思っています。 もし我々が犠牲者であり続けることを選ぶなら、誰も我々を尊敬しないでしょう。 私はパレスチナが強力な軍事力を、核兵器すら持ってほしいと思っています」。 強者になること、軍事力こそが、パレスチナを救う・・・。 しかし、監督は最後にこうも言った。 「もし我々が強者であれば、誰も私たちの元にやって来て、 施しをし、学校を建てる必要などなくなるのです。 日本人は、外国から金を恵んでもらったり、 国連に学校を建ててもらいたいと思いますか? 私たちは、他の国々から施しなど受けずに暮らしたいのです」。 トンデモ映画に分類されかねない作品だし、 完全なハマスのプロパガンダ映画なのだが、 それを監督した一人のパレスチナ人のやむにやまれぬ思いは、 彼の言葉と表情から、痛いほど伝わってきた。 いつまでも同胞を殺され続け、土地を奪われ続け、 犠牲者であり続けること、それを世界から無視され続けるということは、 一体どういう経験なんだろうか。 そして、その黙認の埋め合わせをするかのような、 外国からの施しに頼って生きなくてはならないことは、 どれほど悲しいことなんだろうか。 そのような中で、「より強くなる」 ことを求めるのは、ごく自然なことだろう。 たとえ映画の中でだとしても、仮にそれが「間違った強さ」だったとしても、 強大な軍事力をパレスチナ人が求めることを、一体誰が非難できるだろうか。 でも。 パレスチナが犠牲者の役割から自ら踏み出した先に求めるのが、 監督の言うような「強さ」だとしたら、やっぱりまるで同意できないし、 現実的に考えて、それがパレスチナのためになるとも決して思えない。 それは、この10年のパレスチナの経験を振り返るだけでも明らかだろう。 そして、それがパレスチナのためになると思っているところに、 ハマスやその他の組織の、それらを支えるパレスチナ人自身の、 あるいはその影響力のもとで生きざるを得ない人々の、 大きな困難があると僕は感じている。 さらに言えば、犠牲者のイメージ以上に世界の人々がすでに強く持っているのは、 その対極とも言える、テロリストとしてのパレスチナ人のイメージだ・・・残念なことに。 映画の中でだけ強くなるという自己満足のために、 そのテロリストのイメージを自ら宣伝してどうしようというんだろうか。 まったくオウンゴールもいいところだ。 いやというほどパレスチナの人々と話してきたことだけども、 特にガザでは、「武力以外の解決策」を積極的に模索していこう、 話し合っていこうという土壌が育ってこなかった。 これは、以前も書いたが、内戦を経て、そしてハマス支配の下では、 当時よりもさらにその状況は悪くなっている。 一体何が本当にパレスチナのためになって、 一体何が自分たちの利益を阻んでいるのか、 大っぴらに自分たちの社会のことを話してみよう・・・ という当たり前のことをするのが、ここではなんと難しいことか。 もちろん、日々を忍耐強く堪え、生き抜いているということ自体が、 ここでは最大の抵抗なのだとは思うけれども、 その「耐え忍ぶ人々」「犠牲者」から、社会として自ら大きく踏み出す様を、 僕は見てみたいと思っている。 「そんな牧歌的なことは、封鎖を解いてから」 なんて言葉も聞くが、 封鎖や占領を終わらせるためにこそ、それが必要なんじゃないだろうか。 もっとも、監督の求めるような方向にさらに踏み出す選択肢も、 パレスチナの人々は当然持っているのだが。 今回は立ち話でじっくりとは話せなかったので、 今度はガザの下町にある監督の家で、ゆっくりと話してみたいと思っている。 #
by lusin
| 2009-08-18 01:07
| パレスチナ/イスラエル
2009年 08月 15日
先日、ガザの中心地で映画を観てきた。
街中のあちこちに大きな看板を掲げて宣伝している、 ハマスが製作した映画だ。 脚本はなんとハマスの最高幹部のザハール氏。 出演者は、ほとんどがハマスのメンバーとのこと。 映画の主人公は、かつて実在した人物・イマッド・アケル。 映画のタイトルも、そのまま「イマッド・アケル」。 彼はハマスメンバーであり、イスラエルのお尋ね者であり、 そしてイスラエル軍との戦闘により93年に命をを落とした、 カリスマ的な人物だ。 エンターテイメントには 「エロとバイオレンス」 が必須だが、 この映画にはほぼ10分おきにバイオレンス・シーンがあり 兵士や入植者といったイスラエル人たちが血祭りにあげられる。 そのたびに観客は拍手喝さい、大喜び。 そして必ずそのシーンの最後には、 イスラエル人の血まみれの死体がスクリーンに映し出される。 ちなみにもう一方の「エロ」 は皆無なのは言うまでもない。 にしても、イスラエル人がこの様を見たら、どう思うのかな。 「彼らは映画の中でではなく、実際にパレスチナ人を 殺し続けている。それを受け入れ続けている。 パレスチナ人が映画の中でそれをやって何が悪い?」 とはある知人の談。 ガザの友人の中では一番リベラルな男も、 「そりゃ、イスラエル人が殺されて喜ぶのは自然なことだろう?」 と冷めたことを言い放ち、僕のナイーブな困惑に首をかしげていた。 「それは、お前がパレスチナ人じゃないからだよ」 とも言われた。まさに、その通り。 当事者とヨソ者の間の、深い溝を再び見た気がした。 かつては 「武装闘争の雄」であったハマスだが、 ガザの政権を担ってからは「おとなしくなった、抵抗を忘れた」 とある層の人々から突っつかれている。 なので、「武力による抵抗の精神は未だ健在」 ということや、 かつての「華々しい過去」 を改めて知らしめるという意味では、 この時期はハマスにとってはタイムリーなのかもしれない。 ちなみに、封鎖の下で多くが厳しい生活を強いられる中で、 この映画の製作には12万ドルをかけたという。 映画一本作るのにはなんとも頼りない額ではあるが、 状況が状況である。 今日その話をした服屋のおっちゃんは、 「映画なんかにかける金があるなら、俺らにパンをよこせ!」 と大変ご立腹であった。 映画の最後には、イマッドがイスラエル軍に包囲されて命を落とすのだが、 やはり彼も血まみれの姿をしっかりと見せる。 この時は観客は沈痛な反応をするのかと思いきや、 意外や彼の死に対しても観客は拍手喝さい。 ・・・「あっぱれな殉教ぶり!」ということなのだろうか。 監督は、この映画をカンヌで上映したいらしい。 その頓珍漢ぶりを含め、そしてハマスという存在を考えるうえでは、 ある意味で興味深い映画ではある。 しかし純粋に観客として観れば、深いため息しかでない映画であったし、 ある層の人々がこういう映画を歓迎しているという事実にも、 ヨソ者として、さらに深いため息がでるのだった。 映画が終わり、どっと疲れて、よろよろと会場を後にした。 観終えた観客の顔は悲壮感が漂うでなく、大義に燃えるという風でもなく、 笑みがこぼれてて、痛快なアクション映画を観た後、という趣であった。 うーむ・・・。 後日、観客に感想を聞いてみようと思い、再び会場に足を運んだ。 二度観る気にはならなかったので、外で観客が出てくるのを待ち、 何人かに話を聞いた。 その間、ジーっと熱い視線を送ってくるおっさんがいた。 聞けば、この映画の監督であった。 (つづく) #
by lusin
| 2009-08-15 06:35
| パレスチナ/イスラエル
2009年 08月 08日
青年Kは気のいいヤツだが、ガザをひどく嫌っている。
「こんなクソったれな場所、早く出て行きたい」 と度々吐き捨てるように言う。 とにかく、ガザの人々の気質が気に入らなくて仕方がないのだ。 「お前もそのガザの人間の一人だろうが」 と僕が言うと、 「俺はやつらみたいなクソったれとは違う、なぜなら・・・」 と始まる。 「いいヤツもいるし、いいトコだってあるだろが」 と言ってもまるで聞く耳を持たない、なかなか困った男だ。 ある時Kと道を歩いていると、店先でくつろいでいるおっちゃんが、 英語で僕達に話しかけてきた。 「時間の無駄だ、やめとけ」。 何のことか分からなかったが、続く言葉を聞き理解した。 「ガザなんか取材するのは時間の無駄だ、 こんなゴミみたいな所を取材しても意味がないぞ」 。 僕を見て外国人ジャーナリストだと思ったようだが、 どうやらKのことも同業の外国人だと勘違いしているらしい。 僕は無視して通り過ぎたのだが、Kは立ち止まり、振り返り、 外国人のフリをしておっちゃんに英語で話しかけた。 「何が無駄だって?」 おっちゃんが繰り返す。 「こんなゴミみたいな場所を取材しても意味がない。 ゴミを外国に伝えてどうしようって言うんだ?」 ゴミみたいな場所・・・いつもK自身が言っていることだ。 Kの反応やいかに? 意気投合して、初対面のおっちゃんと手パッチンでもするのか? しかしKの口から出た言葉は、まったく予想外のものだった。 「ゴミだって? 俺たちはガザの良い面を伝えようとしているんだ!」 ガザの良い面・・・? なんだそりゃ。 そんなこと、これまでKの口から聞いたためしがない。 というか、意地でもそんなことを言ってたまるか、という態度なのだ。 Kの言葉におっちゃんは鼻で笑って返す。 「外国人には分からないよ、ガザに良い面なんかないってことはな」。 素敵にシニカルな言葉に刺激されたKは、今度はアラビア語でまくし立てた。 「俺が外国人だって? 俺はあんたと同じガザのパレスチナ人だ。 だがあんたと違い、俺らの仲間について、俺らの祖国について、 伝えるべきことが山ほどあることは知っているつもりだ!!」 おっちゃん、目を丸くして驚いていた。 僕の目もきっと真ん丸になっていたはずだ。 Kは虚を突かれたおっちゃんをさらに「愛国的な」言葉でとっちめた。 まったくたまげた。 Kの知られざる熱きほとばしりを見てしまった。 見てはいけないものを見てしまったような・・・。 が、聞かずにいられようか。 「おいおい何だ何だ、あの言葉は!? 一体どこの穴から出た言葉だ??」 僕の言葉に、Kは初めて見せる気まずそうな顔で黙っていた。 しかしすぐに体勢を立て直すと、こともなげに言った。 「クソみたいな言葉だから、きっとケツの穴から出たんだろう」。 その後も、半ば嫌がらせで、僕はいやらしく彼を追求した。 「なあなあ、ガザの良い面って、一体何なんだよ? おいおいおい」。 だが「通常モード」に戻ったKは、「そんなもんねえ」 と言うばかりなのだった。 #
by lusin
| 2009-08-08 07:25
| パレスチナ/イスラエル
|
ファン申請 |
||