つつがある日々:パレスチナ/イスラエル
2011-03-26T02:34:29+09:00
lusin
Keisuke Otsuki
Excite Blog
「3月15日」のあとで(後)
http://sawa.exblog.jp/15103177/
2011-03-26T02:39:52+09:00
2011-03-26T02:34:29+09:00
2011-03-26T02:34:29+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
が、ふたを開けてみると、銃こそ使わなかったが(威嚇射撃はあった)、ハマスが選らんだのは実力行使だった。「もっとひどい対応を予想してたよ」という人もいれば、「まさか力でねじふせてくるとは思わなかった」という人まで。いずれにしても、ハマスはとても分かりやすい行動で、彼らの姿勢を示すことになった。
それを見た後でも、中心になっている若者たちはこの機運を消してはいけないと、当然デモを続けるつもりだった。翌日の朝、学生たちはその日のデモの打ち合わせをするためにアズハル大学(ファタハ系の学生が多く、今回のデモに深く関わる学生も多い)に集まった。が、さあ広場へ移動、という段になると、「それはまかりならん」と警察に物理的に大学内に封じ込められてしまった。
「ふざけるな!」という学生たちによって、構内でふたたび「統一」を呼びかけるスローガンの大合唱が始まった。しばらく緊迫したにらみ合いが続いていたたのだが、ここでも最終的にハマスは力に訴えた。女学生も殴られていた。「大々的に立ち上がり、蹴散らされたその翌日」がどうなるのかは決定的に重要だったのだけど、ハマスは見事に抑え込んでしまった。
それほど深くコミットしてはいない多くの人たちは、「ああ、やっぱりだめだったか」と、ここで大きく退くことになる。「さあ、ひと騒ぎしたし日常にもどろうか」と。その翌日も、翌々日も、中心の若者たちは何がしかの試みは続けたのだけど、集まる人数も尻すぼみになり、今に至る…。燃え上がり始めた火は、鎮火寸前。
中心メンバーは、「あきらめたわけではない」と言うけど、落胆はとても深いようで、見てていたたまれない。ここで、「なぜエジプトでできたことが、ガザではできないのか」という疑問が出てくる。彼らはみな、エジプトやチュニジアを見て自分たちもと意を決した、と言う。そして実際に立ち上がった。まだ死者が出たわけでもなく(暴行されて流産してしまった女学生はいる)、銃撃にまで至っているわけでもない。びびるにはまだ早い、と失礼ながら思う。そもそも、彼らはインティファーダや激しい空爆下でも生き抜いてきた人たちなのだから、びびり呼ばわりするのは失礼だろう。
いろいろな意見がある。ひとつには、遠く離れた西岸の政府との「統一を」、という掛け声は、ちょっとあいまいに過ぎて、爆発力に欠けるんだと思う。倒すべき体制や、引きずりろすべき指導者がいるわけではない。ハマスが評判よくないとは言え、力で転覆させたいほどに不満が鬱積しているわけではない。そもそも自分たちが選挙で選んだ政府だし、その政府を変えたいのなら、掲げるべきスローガンは「選挙を!」だろう。
そして当然ながら、今もハマスの支持者は多く、ここで「反政府(=反ハマス)」を正面から掲げたら、それこそ内戦になる。いや、今はもうガザの街中には武器はないので(ハマスが刀狩で一掃した)、単に弾圧されるだけだ。ちなみに、通りから有力部族の所持する武器を一掃したことは、反ハマスの人ですら認める、ハマスの大きな功績だ。おかげで実際に、一般的な治安はとても良くなった。
さらに、真の敵であるイスラエルを向こうにみて、内輪でこれ以上もめごとを大きくしてはいけない、という意識もある。口でなんと言おうが、統一などしたくないだろうハマスの意志を変えるには、デモ側もそれなりに腹を決めなくてはいけない。実際、当初は統一の合意がなされるまで広場に留まる、と言っていた。
が、しかし。先に、彼らをびびり呼ばわりしては失礼と書いたものの、彼らにとって、実はハマスはイスラエルよりも怖いのだ。4年前の、ハマスとファタハ支持の有力部族との「内戦」では、後者がしっぽを巻いてイスラエルに助けを求めたという例もある。
今回のことであらためて、この小さいガザ社会の中にすら、無数の分断があるということが露わになってしまった。ガザと西岸の統一どころか、ガザの中すらバラバラ、そもそもハマスですら一枚岩ではなく、相当にややこしいことになっている。
その分断は、彼らがよく言うように、イスラエルによって意図的に作られてきたものでもあるし、同時に彼ら自身によって深められてきたものでもある。だからこそ、「この馬鹿げた状況を何とか変えよう」と立ち上がった人々の落胆ぶりは、いっそう大きいように思える。
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「3月15日」のあとで(前)
http://sawa.exblog.jp/15099290/
2011-03-25T19:27:00+09:00
2011-03-25T19:24:35+09:00
2011-03-25T19:22:31+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
「3月15日」デモは、誰しもの予想をはるかに超えて、腰を抜かすくらいの規模に膨らんだ。まさに老若男女、北から南から。(といっても、ガザは小さい。23区の6割くらい)
前日の14日から、ガザ市の中心部の「ジュンディ・マジュフール(無名戦士)広場」でデモが始まり、お祭り騒ぎになった。みなさん、はっちゃけすぎ。少なくともハマス政府になってから、公の場でこれだけ大騒ぎするのを見たのは初めてだった。
当日を前にフライングで始めてしまい、待てん人たちだなあ…と思っていたら、これは実際には、デモ運営側の戦略だった様子。当日を待つと、ハマス政府に前日のうちにテントを立てられ、がっちりと広場を押さえられ、乗っ取られ、コントロールされてしまう…と。なので、その前に出し抜いてがつんと始めてしまえと。だとしたら、それは見事に成功したことになる。が、同時にそれはハマスにとっては、かなり屈辱的だったはず。
翌日は、朝からなかなか平和的な雰囲気でデモ、というか祭が始まった。しかし、ハマスのサポーターが大挙してハマスの旗、そしてハマスとパレスチナの旗をくっつけた奇妙な旗を掲げてやってきた。これは、「ファタハとハマスの和解」、「党派を超えてひとつのパレスチナを」 という呼びかけに対して、喧嘩を売っているようなものだ。その頃から、ちょっと微妙な雰囲気になってきて、その後ハマスの旗を掲げる人々と、パレスチナの旗を掲げる人々が対峙して、押し合いへし合い、小競り合いが始まった。
パレスチナ側から、「(ハマスの旗を)降ろせ!降ろせ!」「パレスチナ(の旗)だけ!」の大合唱が起こり、一時、かなり緊迫したけれど、そこはなんとか治まった。しかし、ハマスに対してああも公然と異議申し立てをするのも、今まではあり得ないことだ。勢いとは恐ろしい。
その後、デモを乗っ取って「官制デモ」にしてしまおうというかのようなハマスの面々を残して、多くが別の空き地に移動して、そこでお祭り騒ぎを始めた。小さな輪がいくつもできて、歌い、掛け声をかけ、励まし合い、楽しんでいる。彼らは「(エジプトの)タハリール広場をガザにも!」 ということを強く意識していて、雰囲気としてはタハリールもこんな感じだったのだろうかな、と思わされた。
彼らに対して、「5時までに退去しろ」 というハマスからのお達しがあったものの、その後もほとんどの人は動く様子はない。依然としてにぎやかにやっているものの、やはり5時が近づくにつれ、人々に緊張の色がわずかながら見え始めた。が、6時を過ぎても何事もない。空き地には、どうやら大丈夫そうか…?という雰囲気が漂い始めた。
が、その後に起こったことには驚かされた。ハマスは行動を通して、自分たちの姿勢をあからさまに見せてしまった。実力行使に出たハマスは、女性もジャーナリストも構わずに暴行を加え、カメラやテープを没収し、デモ参加者を蹴散らした。
つづく)
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遠い場所のこと
http://sawa.exblog.jp/15062604/
2011-03-17T00:56:40+09:00
2011-03-17T00:51:32+09:00
2011-03-17T00:51:32+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
当然ながら、すぐには家族と連絡とれなかったのだけど、幸い家族はみな無事で本当にほっとした。でも、ひどい被害を受けた地域の映像などを見るに(UstreamでNHKを見てた)、いたたまれなくて、どんどん重苦しい気持ちになっていった。
自分が感じた衝撃を共有して、同じ立場で話し合える人が隣にいないということが大きかったと思う。ここの人たちに話しても、それは「遠い場所」のことで、現実味がないのは仕方がない。パレスチナも、日本人にとっては同じく 「遠い場所のこと」 であるように。
それでも、本当にたくさんの人がここで日本のことを気遣ってくれる。その一つ一つはとても小さいことなんだけど、ものすごく嬉しいし、救われる。そのことが意外だった。ここでは僕はいつもパレスチナ人を「心配する」「気遣う」側だったんだな、という当たり前のことに気付いた。
家族を失ったり、家を破壊されたり、あるいは故郷を追い出されたまま何十年も難民生活をしたり。そういう人たちに会って話を聞くと、「話を聞いてくれてありがとう」 と言われることがある。わざわざ、しんどい話を掘り返して聞かせてくれと頼んでいるのだから、礼をするべきなのはもちろんこちらのはずなんだけど。
彼らは、「世界から見捨てられている」という思いを持っている。実際にはパレスチナは他の紛争地と比べれば、はるかに大きな注意を引いている場所なのだけど、当事者からすると 「なぜ我々を見放すのか」 と感じるだろう。実際、「国際社会」 は彼らを見捨てているのと同じような行動しか取れていないし。
だからこそ、実際に足を運んで、「注目している」という姿を見せることは、彼らにとってはささやかな支えのひとつになっているんだということが、だんだん分かってきた。 もっとも、他の被災地や紛争地でも聞かされる 「メディアが取材して、何か俺たちの状況が変わったか?」といういらだちの声は、もちろんここでも耳にするけども。
そして今回、その彼らから、日本の大災害に対して哀悼の言葉、励ましの言葉をかけられ続けている。もともとなれなれしい、もといフレンドリーな人たちだということもあるけれど、それでも道ですれ違っただけの人含め、本当に数えきれないほどの人たちが気遣ってくれた。
「君はチャイナか、ジャパンか?」 と声をかけ、わざわざ確かめて、日本人だと分かると、いろいろな気持ちを伝えてくれる。これはすごいことだと思う。たとえば。ガザが空爆に襲われて、毎日何十人という命が奪われている中、日本でアラブ系と思しき人が道を歩いていたら、声をかけ、出身地を確認し、同じことができるだろうかと考えさせられた。少なくとも僕は2009年のガザの「戦争」の時、そんなことはしなかった。
「遠くにいるけど、何もできないけども、気にかけている」 という姿勢に、わずかながらでも救われてきた彼らは、そのことの意味をよくよく知っているんだろうなと今回あらためて思った。そして僕自身は実際、そういう彼らの気持ちにすごく救われている。
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嵐の前の静けさ?
http://sawa.exblog.jp/15036967/
2011-03-11T07:35:00+09:00
2011-03-11T07:40:05+09:00
2011-03-11T07:30:41+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
アラブの国々が大変なことになっていますが、本丸であるパレスチナ・イスラエルは穏やかです、今のところ。僕は今ガザにいるんですが、本当に平穏です。ごくたまに、思い出したようにイスラエル軍の単発の空爆があるくらいです。
が。やはりここでも、若者たちがこの流れに乗らん、と行動を起こそうとしてるようです。今月の15日にデモが予定されています。
言いだしっぺは一体どんな若者たちなんだろう…と思ってちょっと調べてみたら、良く知った兄さんもかなり深く関わってました。でも彼はガザではかなり変わり種なので、もし中心人物が皆その手の若者だったらなかなか賛同は得られないのではと思い、会う人会う人に、「15日」のこと知ってるか、どう思うか、 と聞いています。タクシーの運ちゃんから社長まで、小学生からじいさままで、ファタハのコアなメンバーからハマスの役人まで、とりあえず会った人には聞いてます。
一週間前には、「なんだそりゃ?」という反応も結構あったんですが、日に日に知れ渡ってきて、昨日あたりから全員が「ああ、15日のことか」という反応です。「もちろん知ってる。反カダフィのデモだろ?」と知ったかぶりする兄さんが約一名いた以外は、皆がそのデモのお題目もちゃんと知っていました。デモが呼びかけるのは、他のアラブ諸国のデモのように政権打倒や王室批判ではなくて、「パレスチナの統一」です。
パレスチナは今、二つにぱっくりと分裂しています。もともと地理的にはヨルダン川西岸とガザという二つの地区に分かれているんですが、今は内輪もめによって政治的にも完全に分断されています。その結果、パレスチナには現在、西岸の自治政府と、ガザのハマス政府という、二つの政府が存在するというおかしなことになっています。15日のデモはその統一を、「党派とは関係のない、一般の人々の立場から」訴えるとのことです。
数日前は、かなり冷めた見方をする人が多かったんですが、昨日今日はヤル気な熱い面々にもけっこうお目にかかりました。「ガザにもタハリールを!」とまで言う人も。つまり、長期戦覚悟と。
統一自体は、ファタハもハマスも表向きには求めているので(実際ハマスも統一を呼びかけるデモをガザで先週行い、今日も予定しています)、大っぴらには文句をつけられないはずですが、そこはやはり一筋縄ではいかなそうです。ハマス政府はちょこちょこ「15日」に関わる者を拘束、尋問しています。曰く「外の勢力がガザを混乱させようと画策している」とのことですが、内情を知る者によると、その真意はともかく、どうやらハマス政府にそう受け取られても仕方ない要素は、実際にあるようです。
何にしても、事がどういう展開をたどるのか、ハマスがどのような対応をするのかは、さっぱり分からず。もっともエジプトのことだって、何が何故どのように起きたのか、未だに本当のところはよく分からないんだから、まあ当然かもしれないですが。
それにしても、もし人々の要求が両政府に受け入れられて、晴れて統一政府ができたとしても…それはマイナスからやっとゼロの地点に戻ったというだけなんですよね。パレスチナ人にとっての本当の目標である、イスラエルによる占領の終結は、まだまだはるか遠いところに。
でも、しかし。中東に吹き始めた暴風は、パレスチナには追い風で、イスラエルにとっては逆風であるはずで(たぶん)、その流れの中では何が起こるかは分からんなと思いつつ、成り行きを見ています。
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写真展などお知らせ
http://sawa.exblog.jp/12784762/
2010-02-04T17:45:19+09:00
2010-02-04T17:45:29+09:00
2010-02-04T17:45:29+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
会場のEL TALLER のサイトはこちら。
お近くの方は、ぜひ足を運んでみてくださいませ。
14日(日)の16時から、会場でトークをする予定です。
その翌日の15日には、北九州市立大学の学生さんの招きで、
北九州でスライドトークをします。17時半からです。
北九州は初めてなので楽しみです。
小倉出身の友人情報によると、バイオレントかつ素敵な町だとのことですが、
本当かどうか確かめてきます。
会場の大學堂はコチラ。
まだ先ですがついでに告知です。
昨年11月にやったばかりですが、
またしても高円寺の素人の乱12号店でトークをします。
今度はフォトグラファーの高橋美香さんと一緒にやります。
3月5日(金)の、多分19時くらいからです。
ちなみに、初めて来る者みなが遭難するでろうと思われる、
会場へのけもの道はこんな感じですが、
12号店はとても分かりにくい場所にあるので、
まあ分かるだろうなどと油断せずに心して来てくださいませ。
僕は初めて行った時には、なかなか辿りつけずに右往左往しました。
詳細が決まったらまた告知します。
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ガザでただいま婚活中 / 下北沢でガザ報告
http://sawa.exblog.jp/12428903/
2009-12-02T17:22:15+09:00
2009-12-02T17:22:23+09:00
2009-12-02T17:22:23+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
ガザの記事を書かせてもらいました。サイト上でも記事と写真が少し見られます。
ちなみに、以前同誌に書いた記事はこちら。
ちょうど一つ前のエントリーに書いた、今はキプロスへと渡った友人の、
かつてのガザでの姿です。ああ懐かしや・・・。
ガザが過酷な状況にある中、こんなゆるい記事を書いてていいのか、
というかすかな疑問はありますが・・・機会があれば、もっと書きたいです。
ガザの過酷さを語る中で僕自身も忘れがちな、「そこにも私たちと同じ人間が生きている」
という当たり前のことを、いろいろな形で伝えたいと思っています。
ところで、直前の告知になりますが、明日、下北沢にある古本カフェ・バーの気流舎で、
ガザの話をさせてもらいます。19時ころから。
ガザの人々のおかれた厳しい状況、そこで考えたことなどを報告したうえで、
みなさんの意見もいろいろと聞かせてもらいたいと思っています。
小さな居心地のいいお店なので、ざっくばらんにできると思います。
ぜひ遊びに来てくださいませ。
だいたいの人数把握のためご連絡いただけると幸いです。
多いときはご予約を優先させていただきます。
noashcafe@@qd.main.jp (押野) ← @を一つとってください]]>
故郷を離れてキプロスで
http://sawa.exblog.jp/12326004/
2009-11-15T00:30:52+09:00
2009-11-15T00:30:55+09:00
2009-11-15T00:30:55+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
それはともかく、ノルウェーでRら若いパレスチナ人たちにとって何よりも大きな意味を持っていたのは、そこには外国の入植地も占領者もいなかったということだ。こういう世界がありえる、ということを、自分の目で確かめたのだ。わずかな11日間の滞在だったが、それは彼にとって「人生のターニングポイント」だったと言う。「今回の夢は、あの時よりもちょっとばかり長く続きそうだし、ひょっとしたら、それは永遠に続くかもしれないよ!俺はガザの外で、新しい人生を始めるつもりだから。もし、ガザの人間が僕と同じ状況にあれば、誰だってそう考えると思う。ガザでの生活は、残念ながら信じられないほど困難だし、何より、決して安全でもないからね。でも俺が本当に悲しいのは、家族をその中に残してきてしまったことだ。ガザの状況は今も十分に厳しくて、さらに悪化しようとしているというのに。」「俺はここで1年半か2年かけて、修士課程で学ぶつもりだ。その後、ここに留まるかヨーロッパに行くかを決めるよ。君も知ってるように、兄がベルギーにいるんだ。彼がきっと、俺がベルギーに移住するのを助けてくれるよ。ところで、その兄が来月、俺に会いにくるんだよ。彼はずっと外国に住んでいたんだ。ロシア、オランダ、ベルギー・・・。彼とはもう15年も会ってないよ。閉じ込められることを恐れて、ガザには戻れなかったんだ。だから、家族が彼に会うには、誰かがガザを出なければならなかったんだ。俺がその最初の一人になったというわけだよ。」「俺はついに、ガザを出ることができた!デンマークとロンドンにいる友達が会いに来いって言うんだ。今はもう、どこにでも行けそうな気がするよ!いつか、どこかで再会しよう!」普段は、ガザっ子らしくなく、本当に落ち着いた物言いの彼だが、この便りでは嬉しさを抑えきれないという様子だ。どれほどの喜びなのか、ちょっと想像つかないな。
もちろん封鎖されたガザの状況が変わったわけではなく、彼はごく限られた「幸運な」人たちの一人にすぎない。そして彼は以前、ガザを出た後に再びそこに戻るつもりがあるかどうかと聞かれて、こう答えていた。「監獄の中に自分から戻ろうとする人間がいるかどうか、考えてみたらわかるかもしれないな」。
それはまったく切ない話なのだが、でも、彼がずっと望んできたことが叶って、本当に嬉しい。学業だけでなく、夢にまで見た自由な恋愛も、新天地で楽しんでほしい。そしていつか、彼が心置きなく故郷に帰れる日がきてほしい。
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のこされたものは
http://sawa.exblog.jp/12101720/
2009-10-10T12:32:00+09:00
2009-10-11T14:32:49+09:00
2009-10-10T12:31:41+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
あまりに急なことだったので、未だにまるでぴんとこない。
佐藤レオさんとは5年前にエルサレムの安宿で出会った。
彼は仕事を離れ、エルサレムで途中下車したバックパッカーで、
僕は会社を辞めて、パレスチナの大学のコースに通う学生だった。
その安宿には、様々な国からやって来た、
様々な目的を持った人々がひしめいていた。
僕達は愉快で一風変わった仲間たちと共に、
そこで合宿のような、激しくも楽しい日々を過ごした。
その時の彼は、本当にイキイキとしていた。
その後、彼も僕もパレスチナに深く関わっていった。
彼は後にパレスチナを再訪し、ビリン村を取材して
「ビリン・闘いの村」 というドキュメンタリー映画を作った。
同じ対象に関わる仲間を失うというのは、
こんなに寂しいことなのか、とあらためて思う。
もっとも、彼との思い出で今まっさきに思い出されるのは、
なぜか、野郎二人でポニョを観に行き、
その後熱くポニョについて語り合ったことだ。
・・・あれは熱かった。
でも、そういうレオさんの記憶以上に、頭から離れないのが、
先立った息子の部屋で、遺品を黙々と片付けるご両親の姿だ。
僕は、そして彼の周囲の親しかった人々もきっと、
まだ気持ちの落ち着き先がなく、うまく悲しむこともできず、
もやもやとした後悔ばかりが残っている。
彼は、不器用で、とてもまっすぐで、気前がよくて、優しくて、
時に融通がきかず、弱さを抱えていて、そしてとても強かった。
彼の強さと弱さは、きっと背中合わせだったんだなあ、と思う。
もっといろいろ話したかったし、きっとそうするべきだったし、
もっと一緒にいろいろしたかったな。
陳腐な表現だけど、なんだか宿題を残された気がしている。
訃報を現地の友人に伝えると、ビリンの村人たちが昨日、
金曜日の恒例のデモの中で、レオさんを追悼してくれた。
それを見て、彼はどこでどう感じてるだろうかな。
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娑婆で一息
http://sawa.exblog.jp/11815993/
2009-08-28T07:27:02+09:00
2009-08-28T07:27:07+09:00
2009-08-28T07:27:07+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
ガザからエルサレムまでは、車で1時間半ほど。
ガザの中に長くいると、あの封鎖された異常な状況にもかかわらず、
あたかも、はじめから世界はこうであったかのような錯覚に陥る。
でも一たびそこから抜け出すと、
自分がいた檻の中の異常さを、感覚としてあらためて思い知る。
一瞬のうちに、壁の内側に閉じ込められた人々の世界から、
彼らを閉じ込めている人々の世界へと移動する。
檻の中から、檻の外へ。
閉じ込める側の人々は、そんな監獄など存在しないかのように、
何食わぬ顔で暮らしている。
エルサレムのユダヤ側の街の、なんと開放感あふれ、
華やかで、楽しげなことか・・・。
娑婆の空気を、つかの間味わう。
いつも大混雑のヨルダン川西岸側のパレスチナ国境とは違い、
ガザとイスラエルの出入り口、エレズ検問所は、
いつも閑散としている。
まあそれが、封鎖の封鎖たるゆえんなのだが。
パスポートコントロールのブースは12もあり、
監視カメラもこれでもかというほど設置されてるけど、
このガラーンとしたターミナルでは、
どちらも無用の長物っぷりをさらしている。
「イスラエルにようこそ」 なんて書いてるけど、たちの悪い冗談だ。
かつてエレズはただのチェックポイント風情であったようだが、
いまや立派な「国境ターミナル」が完成している。
もう、「あちら側のことは、与り知りませぬ」 というわけだ。
いつもは一人さびしくガザを出るのだが、
今回は、20人ばかりの老若男女のパレスチナ人たちと一緒だった。
ほとんどがイスラエルに治療に出る病人と、付き添いの家族。
ガザを出られる彼らは、幸運な人々だ。
パレスチナの保健省によると、封鎖によってガザを出ることかなわず、
必要な治療が受けられずにに亡くなった人々は、
今月までで344人にのぼるとのこと。
ガザの人たちは、というかもちろんどこの世界であろうと人間は、
あんな暮らしを強いられるべきじゃないし、
イスラエルの人たちも、人間をまるで家畜のように扱うことを、
自分にも、自分の大切な人たちにも許すべきじゃない。
それに、外の世界も、それを見てみぬふりするべきじゃない・・・。
あんまり 「べき」 という言葉は好きじゃないが、
そう言わずにはいられないことも、もちろんある。
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もういくつ寝ると
http://sawa.exblog.jp/11762894/
2009-08-20T07:27:00+09:00
2009-08-20T07:48:53+09:00
2009-08-20T07:28:05+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
もうすぐイスラム世界ではラマダン(断食月)が始まります。
僕がイスラム圏で初めて経験したラマダンは、2001年のパキスタンで、
その年のラマダンは11月~12月にあたってました。
イスラムの暦では、西暦に対して毎年約11日ずつずれていくので、
その後、ラマダンの時期はじりじりと夏に近づいてきたわけですが、
今年はついに8月のラマダンです。
夏のラマダンです。過酷です。
このむやみに暑い中、日の出から日没まで飲み食い禁止です。
非ムスリムには、とても正気の沙汰とは思えません。
・・・というわけで申し訳ないのだけど、ちょっと付き合いきれないので、
しばし、僕は後ろめたい日々を過ごすことになります。
でも、あの毎日のお祭りムードはなんだかとても楽しいし、
ムスリムにとって神聖な時期なのでみな穏やかになるし、
日没後のごちそうにあちこちお呼ばれするので、ラマダンは大好きです。
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そこから踏み出す先は
http://sawa.exblog.jp/11748460/
2009-08-18T01:07:00+09:00
2009-11-25T09:16:54+09:00
2009-08-18T01:07:51+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
さて、奇しくも出くわしたハマス映画の監督は、
「下町のおっさん」 風であった。
実際に住まいはガザの下町とのこと。
かつてドイツで映画を学んだと聞いていたので、
もっとインテリ風の人かと思っていたのだが。
おっさん、もといマジッド・ジュンディヤ監督は、
気さくに立ち話でいろいろ話してくれた。
映画の製作過程や大変だったことなどを聞かせてもらった後、
せっかくの機会に率直にたずねてみた。
「この映画はパレスチナのネガティブなイメージを広めることになりませんか?」
監督は若干語気を強めて、こう言った。
「私たちは、私たちを殺す者を殺すのです。
イマッド・アケルが言ったように、
『イスラエル人を殺すことは、神を讃え神に近づくこと』 です。
ユダヤ人たちは、強者の側にいます。
だから世界は彼らの側につくのです。
パレスチナ人は弱者とみなされています。
私たちは今、常に『犠牲者』であったパレスチナのイメージに、
抵抗しようとしています」。
「下町のおっさん風映画監督の顔」 は、「ハマスの顔」 になっていった。
その後もハマス・テイストの演説が続いたので、
話題を変えて、カンヌ進出について聞いてみた。
一転、監督は顔をほころばせ、今後の野望を語ってくれた。
「世界中の映画祭で上映したいと思っています。
イタリア、ベルリン、アメリカでも上映したいです。
我々パレスチナ人がここにいる、ということを、
我々は弱者ではない、ということを伝えるために。
もし日本にも映画祭があれば、それにも参加したいです」。
日本の映画祭、ガザ発の映画、と言えば、
山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された、
アブドゥッサラーム・シャハダ監督の「レインボー」がある。
マジッド監督は彼のことはよく知っていると言う。
「彼のパレスチナ問題を取り上げた作品には感謝している」
とのことだが、「レインボー」について聞いてみた。
「あの映画の中のパレスチナ人のイメージは、まさに犠牲者ですよね。
あなたは、そのイメージに共感しますか?」
ジュンディヤ監督は、ちょっと言いにくそうにしつつも、
その後、きっぱりとこう言った。
「私は個人的には、パレスチナ人を犠牲者として見ることは好みません。
私は、パレスチナ人を強者、戦士、英雄として見たいと思っています。
もし我々が犠牲者であり続けることを選ぶなら、誰も我々を尊敬しないでしょう。
私はパレスチナが強力な軍事力を、核兵器すら持ってほしいと思っています」。
強者になること、軍事力こそが、パレスチナを救う・・・。
しかし、監督は最後にこうも言った。
「もし我々が強者であれば、誰も私たちの元にやって来て、
施しをし、学校を建てる必要などなくなるのです。
日本人は、外国から金を恵んでもらったり、
国連に学校を建ててもらいたいと思いますか?
私たちは、他の国々から施しなど受けずに暮らしたいのです」。
トンデモ映画に分類されかねない作品だし、
完全なハマスのプロパガンダ映画なのだが、
それを監督した一人のパレスチナ人のやむにやまれぬ思いは、
彼の言葉と表情から、痛いほど伝わってきた。
いつまでも同胞を殺され続け、土地を奪われ続け、
犠牲者であり続けること、それを世界から無視され続けるということは、
一体どういう経験なんだろうか。
そして、その黙認の埋め合わせをするかのような、
外国からの施しに頼って生きなくてはならないことは、
どれほど悲しいことなんだろうか。
そのような中で、「より強くなる」 ことを求めるのは、ごく自然なことだろう。
たとえ映画の中でだとしても、仮にそれが「間違った強さ」だったとしても、
強大な軍事力をパレスチナ人が求めることを、一体誰が非難できるだろうか。
でも。
パレスチナが犠牲者の役割から自ら踏み出した先に求めるのが、
監督の言うような「強さ」だとしたら、やっぱりまるで同意できないし、
現実的に考えて、それがパレスチナのためになるとも決して思えない。
それは、この10年のパレスチナの経験を振り返るだけでも明らかだろう。
そして、それがパレスチナのためになると思っているところに、
ハマスやその他の組織の、それらを支えるパレスチナ人自身の、
あるいはその影響力のもとで生きざるを得ない人々の、
大きな困難があると僕は感じている。
さらに言えば、犠牲者のイメージ以上に世界の人々がすでに強く持っているのは、
その対極とも言える、テロリストとしてのパレスチナ人のイメージだ・・・残念なことに。
映画の中でだけ強くなるという自己満足のために、
そのテロリストのイメージを自ら宣伝してどうしようというんだろうか。
まったくオウンゴールもいいところだ。
いやというほどパレスチナの人々と話してきたことだけども、
特にガザでは、「武力以外の解決策」を積極的に模索していこう、
話し合っていこうという土壌が育ってこなかった。
これは、以前も書いたが、内戦を経て、そしてハマス支配の下では、
当時よりもさらにその状況は悪くなっている。
一体何が本当にパレスチナのためになって、
一体何が自分たちの利益を阻んでいるのか、
大っぴらに自分たちの社会のことを話してみよう・・・
という当たり前のことをするのが、ここではなんと難しいことか。
もちろん、日々を忍耐強く堪え、生き抜いているということ自体が、
ここでは最大の抵抗なのだとは思うけれども、
その「耐え忍ぶ人々」「犠牲者」から、社会として自ら大きく踏み出す様を、
僕は見てみたいと思っている。
「そんな牧歌的なことは、封鎖を解いてから」 なんて言葉も聞くが、
封鎖や占領を終わらせるためにこそ、それが必要なんじゃないだろうか。
もっとも、監督の求めるような方向にさらに踏み出す選択肢も、
パレスチナの人々は当然持っているのだが。
今回は立ち話でじっくりとは話せなかったので、
今度はガザの下町にある監督の家で、ゆっくりと話してみたいと思っている。
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ハマス映画のゆううつ
http://sawa.exblog.jp/11729030/
2009-08-15T06:35:00+09:00
2009-08-15T07:00:22+09:00
2009-08-15T06:35:26+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
街中のあちこちに大きな看板を掲げて宣伝している、
ハマスが製作した映画だ。
脚本はなんとハマスの最高幹部のザハール氏。
出演者は、ほとんどがハマスのメンバーとのこと。
映画の主人公は、かつて実在した人物・イマッド・アケル。
映画のタイトルも、そのまま「イマッド・アケル」。
彼はハマスメンバーであり、イスラエルのお尋ね者であり、
そしてイスラエル軍との戦闘により93年に命をを落とした、
カリスマ的な人物だ。
エンターテイメントには 「エロとバイオレンス」 が必須だが、
この映画にはほぼ10分おきにバイオレンス・シーンがあり
兵士や入植者といったイスラエル人たちが血祭りにあげられる。
そのたびに観客は拍手喝さい、大喜び。
そして必ずそのシーンの最後には、
イスラエル人の血まみれの死体がスクリーンに映し出される。
ちなみにもう一方の「エロ」 は皆無なのは言うまでもない。
にしても、イスラエル人がこの様を見たら、どう思うのかな。
「彼らは映画の中でではなく、実際にパレスチナ人を
殺し続けている。それを受け入れ続けている。
パレスチナ人が映画の中でそれをやって何が悪い?」
とはある知人の談。
ガザの友人の中では一番リベラルな男も、
「そりゃ、イスラエル人が殺されて喜ぶのは自然なことだろう?」
と冷めたことを言い放ち、僕のナイーブな困惑に首をかしげていた。
「それは、お前がパレスチナ人じゃないからだよ」
とも言われた。まさに、その通り。
当事者とヨソ者の間の、深い溝を再び見た気がした。
かつては 「武装闘争の雄」であったハマスだが、
ガザの政権を担ってからは「おとなしくなった、抵抗を忘れた」
とある層の人々から突っつかれている。
なので、「武力による抵抗の精神は未だ健在」 ということや、
かつての「華々しい過去」 を改めて知らしめるという意味では、
この時期はハマスにとってはタイムリーなのかもしれない。
ちなみに、封鎖の下で多くが厳しい生活を強いられる中で、
この映画の製作には12万ドルをかけたという。
映画一本作るのにはなんとも頼りない額ではあるが、
状況が状況である。
今日その話をした服屋のおっちゃんは、
「映画なんかにかける金があるなら、俺らにパンをよこせ!」
と大変ご立腹であった。
映画の最後には、イマッドがイスラエル軍に包囲されて命を落とすのだが、
やはり彼も血まみれの姿をしっかりと見せる。
この時は観客は沈痛な反応をするのかと思いきや、
意外や彼の死に対しても観客は拍手喝さい。
・・・「あっぱれな殉教ぶり!」ということなのだろうか。
監督は、この映画をカンヌで上映したいらしい。
その頓珍漢ぶりを含め、そしてハマスという存在を考えるうえでは、
ある意味で興味深い映画ではある。
しかし純粋に観客として観れば、深いため息しかでない映画であったし、
ある層の人々がこういう映画を歓迎しているという事実にも、
ヨソ者として、さらに深いため息がでるのだった。
映画が終わり、どっと疲れて、よろよろと会場を後にした。
観終えた観客の顔は悲壮感が漂うでなく、大義に燃えるという風でもなく、
笑みがこぼれてて、痛快なアクション映画を観た後、という趣であった。
うーむ・・・。
後日、観客に感想を聞いてみようと思い、再び会場に足を運んだ。
二度観る気にはならなかったので、外で観客が出てくるのを待ち、
何人かに話を聞いた。
その間、ジーっと熱い視線を送ってくるおっさんがいた。
聞けば、この映画の監督であった。
(つづく)
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その穴からもれたものは
http://sawa.exblog.jp/11682753/
2009-08-08T07:25:17+09:00
2009-08-08T07:24:54+09:00
2009-08-08T07:24:54+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
「こんなクソったれな場所、早く出て行きたい」
と度々吐き捨てるように言う。
とにかく、ガザの人々の気質が気に入らなくて仕方がないのだ。
「お前もそのガザの人間の一人だろうが」 と僕が言うと、
「俺はやつらみたいなクソったれとは違う、なぜなら・・・」 と始まる。
「いいヤツもいるし、いいトコだってあるだろが」
と言ってもまるで聞く耳を持たない、なかなか困った男だ。
ある時Kと道を歩いていると、店先でくつろいでいるおっちゃんが、
英語で僕達に話しかけてきた。
「時間の無駄だ、やめとけ」。
何のことか分からなかったが、続く言葉を聞き理解した。
「ガザなんか取材するのは時間の無駄だ、
こんなゴミみたいな所を取材しても意味がないぞ」 。
僕を見て外国人ジャーナリストだと思ったようだが、
どうやらKのことも同業の外国人だと勘違いしているらしい。
僕は無視して通り過ぎたのだが、Kは立ち止まり、振り返り、
外国人のフリをしておっちゃんに英語で話しかけた。
「何が無駄だって?」
おっちゃんが繰り返す。
「こんなゴミみたいな場所を取材しても意味がない。
ゴミを外国に伝えてどうしようって言うんだ?」
ゴミみたいな場所・・・いつもK自身が言っていることだ。
Kの反応やいかに?
意気投合して、初対面のおっちゃんと手パッチンでもするのか?
しかしKの口から出た言葉は、まったく予想外のものだった。
「ゴミだって? 俺たちはガザの良い面を伝えようとしているんだ!」
ガザの良い面・・・? なんだそりゃ。
そんなこと、これまでKの口から聞いたためしがない。
というか、意地でもそんなことを言ってたまるか、という態度なのだ。
Kの言葉におっちゃんは鼻で笑って返す。
「外国人には分からないよ、ガザに良い面なんかないってことはな」。
素敵にシニカルな言葉に刺激されたKは、今度はアラビア語でまくし立てた。
「俺が外国人だって? 俺はあんたと同じガザのパレスチナ人だ。
だがあんたと違い、俺らの仲間について、俺らの祖国について、
伝えるべきことが山ほどあることは知っているつもりだ!!」
おっちゃん、目を丸くして驚いていた。
僕の目もきっと真ん丸になっていたはずだ。
Kは虚を突かれたおっちゃんをさらに「愛国的な」言葉でとっちめた。
まったくたまげた。
Kの知られざる熱きほとばしりを見てしまった。
見てはいけないものを見てしまったような・・・。
が、聞かずにいられようか。
「おいおい何だ何だ、あの言葉は!? 一体どこの穴から出た言葉だ??」
僕の言葉に、Kは初めて見せる気まずそうな顔で黙っていた。
しかしすぐに体勢を立て直すと、こともなげに言った。
「クソみたいな言葉だから、きっとケツの穴から出たんだろう」。
その後も、半ば嫌がらせで、僕はいやらしく彼を追求した。
「なあなあ、ガザの良い面って、一体何なんだよ? おいおいおい」。
だが「通常モード」に戻ったKは、「そんなもんねえ」 と言うばかりなのだった。
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祝福する人たち
http://sawa.exblog.jp/11648645/
2009-08-02T23:55:00+09:00
2009-08-03T07:06:29+09:00
2009-08-03T07:00:51+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
僕は今日、誕生日を迎えました。
が、ここでは誰も祝ってくれそうもない(知らないので当然だが)。
日本のカミさんすら忘れてる始末だ。
仕方ないので、会う人会う人に「今日、誕生日」と伝えた。
そしたら、よく知った人、初めて会った人、何人もの人たちが、
あちこちでバースデイソング・アラビア語版を歌ってくれた。
メロディは一緒。
サナ ヘールワ ヤ ガミール ♪
サナ ヘールワ ヤ ガミール ♪
サナ ヘールワ ヤ ハビービ ♪
サナ ヘールワ ヤ ガミール ♪
まことにうれしい。
言ってみるもんだな。
そうだ、ここの人たちは、
人を祝福することにとても気前がいいのだった。
日本からお祝いの言葉をくださった方々、
歌ってくれたガザの皆さん、
本当にありがとうございました。
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ちぢまる土俵
http://sawa.exblog.jp/11631081/
2009-07-31T19:13:00+09:00
2009-07-31T21:52:04+09:00
2009-07-31T19:13:06+09:00
lusin
パレスチナ/イスラエル
けっこうこれが返答に困る質問なので、こちらは適当なことを言うのだが、
すると運ちゃんは、その返答とは関係なく、
「エルサレムを返せ、難民を帰還させろ、女子供を殺すな・・・」と、
外国人である僕にパレスチナの大義を訴え、イスラエル批判をすることが、
「かつての」お決まりであった。
が、今回はまだ一度もそういう運ちゃんには会ってない。
「ガザをどう思う?」 という問いかけは以前と同じなのだが、
その後に続くのは、「封鎖されてる」「監獄だ」 「だからしんどい」 という、
現状への嘆き節だ。
その先に進み、イスラエル批判をする人はほとんどいない。
直接、ガザを封鎖をしているのはイスラエルだ。
女子供を殺すのも、イスラエルだ。
そして状況は、以前よりはるかに悪くなっている。
なのに、多くの地べたの人々は、イスラエル批判をしない。
(もちろん然るべき立場の人々は、しっかりと語るが)
人々はあたかも、イスラエルの蛮行自体は
「所与の条件」 として受け入れ始めているかのようだ。
その一方で、身内であるハマスによる 「より小さな横暴」は許せない。
ハマスの強権政治を批判はしても、
圧倒的に理不尽なガザ封鎖を続けるイスラエルは批判しない。
イスラエルが我々を封鎖するのはハマス政権のせいだ、
ハマスのせいで我々が苦しんでいる・・・と。
ハマスの現状については、ここではとりあえず置いておくとして。
こういうのって、なんて言うのかな。
問題にすべき事柄の土俵が、一回り小さくなったと言うか、
「現実」 として受け入れる対象が、一回り大きくなったと言うか・・・。
イスラエルからの攻撃は激しいときには、
あまりにも分かりやすい「共通の大きな敵」 の前に、
内輪のいがみ合いは影をひそめる。
状況が落ち着くと、じわじわと内輪の対立が再び表面化してくる。
そして、根本的な大きな構造が見えなくなる。
今や、多くのガザの人々にとっての「悲願」は、
当然されてしかるべきガザ封鎖の解除であり、
あるいはハマスに代わってのファタハの復権という内輪の事柄であって、
もはやパレスチナ難民の帰還やエルサレムの奪還という
「パレスチナの大義」は、はるか遠い世界のお話であるかのようだ。
文字通り、関心は小さなガザの境界までしか届かない。
それが大きな後退なのか、あるいは自然なことなのか、
ひょっとしたら何かしらの意味での前進なのか・・・
そもそも、どこに立って、何を見て、それが言えるのか。
ここで多くの人と話せば話すほど、よそ者である僕には、よく分からなくなります。
しかし、イスラエルによる馬鹿げた犯罪的なガザ封鎖を今すぐにでも解くべきだ、
ということは、どこからどう見ても、僕にもはっきりと言えます。
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