カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2011年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 03月 2007年 01月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 フォロー中のブログ
MEDITATE ONLINE 高遠菜穂子のイラク・ホー... from ayako やんわりまったり ハムスターパゾ 今もス... ニュースの現場で考えること 写真でイスラーム 中東イベント情報 イノレコモンズのふた。 イスラムアート紀行 今日のできごと ブルーテント村とチョコレート 旅と絨毯とアフガニスタン ariphoto diary 『ウシゴコロ』 東京・高円寺カフェ&バー... リキシャで日本一周(写真... きらきらひかる 246表現者会議 ジモティーでいこう。 リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2008年 02月 29日
※写真 アハマドの家で子供たちと話すレイラ(右) = 2006年8月、パレスチナ・ヨルダン川西岸ブドゥルス村 (撮影 大月啓介) ____________________________________ イスラエルとの境界を越えパレスチナの村へ向かう車の中で、レイラはイスラム女性がするように頭髪をスカーフで覆った。彼女はイスラエルのユダヤ人だが、村での作法に倣(なら)ってのことだ。オリーブ畑が広がるブドゥルス村の、一軒の質素な家に着くと、アハマドと妻のスデゥキア、そして子供たちが満面の笑みでレイラを迎え、中庭に招き入れた。彼らは、レイラの「パレスチナの家族」 なのだ。 レイラはこれまでさまざまなパレスチナ人支援活動をしてきた。その行動は常にパレスチナの人々との関わりの中から始まった。イスラエル軍の道路封鎖で移動できない人たちに代わって、彼らの作ったオリーブ油を売った。パレスチナの村々で子供たちのサマーキャンプを企画した。イスラエル軍の攻撃で負傷した子供を病院に見舞い、身の周りの世話をしたり、話し相手になったりもした。人権団体や平和運動のグループとともに動くことはあったが、どこにも所属はしなかった。 2003年、「分離壁」 建設に抗議するデモがパレスチナ各地で起こると、レイラもそれに加わった。しかし、アハマドの一家と出会って、彼女はデモに参加するのをやめた。「彼らと関係を深めていくことの方が、デモに参加することよりも私にとって大切だったから」 と彼女は言う。 ※ ※ ※ アハマド一家は、ヨルダン川西岸に住む多くのパレスチナ人と同様、イスラエルが建設する「分離壁」 のために土地を奪われ、生業として栽培していたオリーブの木を切り倒された。レイラは彼らの生活を支えるため寄付を募り、村人たちが作った石けんを売った。アハマド一家を彼女は実の家族のように慕い、彼らもまたレイラを家族の一員として温かく迎え入れた。 パレスチナには、イスラエル人が来ることをこころよく思わない人もいるが、スドゥキアは 「私たちの子供を大切にしてくれる人に対して、ドアを閉めるなんてできない」 と言う。レイラは 「彼らといると心から安心できる。私が経験することのできなかった本当の家族の感覚というのは、こういうものなのかもしれない」 と語った。 レイラは幼い頃、祖父母に育てられた。「とても人種差別的な人だった」 という祖父は、彼女に 「良いアラブ人とは、死んだアラブ人のことだ」 と繰り返し語った。 リビアからの移民の母を持ち、アラブの血も引くレイラが、自分のなかのユダヤ以外のアイデンティティを表現することは許されなかった。17歳のとき、彼女は家から逃げ出した。 だが依然、彼女の生きるイスラエルという大きな“家”は、アラブへの蔑視をはばからない場所だった。 ユダや人でありながらパレスチナ人と深く関わるレイラを、イスラエルの人々はときに 「アラブ好き」 と揶揄(やゆ)する。しかし、レイラは「悪くないわね」 と気に留めない。 「実際、私はアラブが好きだから。そもそも私自信、半分アラブだしね」 ※ ※ ※ 特定の一家族との関係に重きをおく彼女の行動に対しては、平和運動の活動家からも、「個人的でナイーブすぎる」 「もっと大きな視野を持つべきだ」 といった批判がある。「そういう意見は、ある程度は理解できる。でも、私たちが常に政治やイデオロギーから行動するなら、大切な何かが抜け落ちてしまうと思う」 とレイラは言う。 「感情的なつながりがなければ、彼らの困難を 『銃撃されたパレスチナ人』 『家を破壊されたパレスチナ人』 というお決まりのラベルで、きっとやり過ごしてしまう。でも、彼らとの間に人間的な絆があれば、それらの出来事は私をも傷つける。本当の意味で彼らを共にあろうとするなら、彼らの苦しみの前で、私もまた無傷ではいられないはずだと思う」 アハマド一家との経験が伝えることを、レイラは 「私たちを分断するための壁や線引きを越えて、相手を人間として見ること」 だと語る。 「人間を引き離す壁は常に心の中で生まれるということを私たちは自覚しなくてはいけない。占領は決して軍だけに関わることではなく、私たち自身がどのようにパレスチナ人との関係を築いていくのか、という大きな問いなの」。 ( 大月啓介 / 信濃毎日新聞 2008年1月30日掲載 )
by lusin
| 2008-02-29 16:54
| パレスチナ/イスラエル
|
ファン申請 |
||