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2008年 02月 05日
※写真 イスラエルによる「分離壁」の建設に抗議し、パレスチナ旗を掲げてデモをするビリン村の人たち = 2006年11月、パレスチナ・ヨルダン川西岸 (撮影 大月啓介) __________________________________________________ 映画 「ビリン・マイ・ラブ」 ~衝突のさなかで見た希望~ 2006年7月のエルサレム国際映画祭で、ドキュメンタリー賞を獲得した一本の映画がある。パレスチナ・ヨルダン川西岸地区の小さな村、ビリンを舞台とした「ビリン・マイ・ラブ」だ。その3年前、ビリン村はイスラエルが西岸に建設を進める「分離壁」によって分断され、土地の半分近くを奪われる危機に直面していた。壁の建設に抗議し、立ちあがった村人たち。その戦いを、監督のシャイ・ポラック(38)は克明に記録した。 村人を殴りつけ、銃口を向ける兵士。女性にすら催涙弾や音響爆弾を撃ち込む兵士。パワーショベルで引き抜かれるオリーブの木。映画は、村人たちの抵抗を武力でねじ伏せるイスラエル軍を映し出す。オリーブの木を切られ、狂わんばかりに嘆き悲しむ村人。そして、奪われた土地につくられていく壁と入植地。そこには、支配する者とされる者の姿がある。 だが、映画が描き出したのは軍の暴力だけではない。自らの土地と生活を守るため、丸腰でイスラエル軍に立ち向かう村人たちは、鶏糞(けいふん)を詰めた袋を兵士に投げつけ、また自ら鉄の檻(おり)に入って土地の明け渡しを拒むなど、ユニークな抵抗戦術を次々と生み出していく。圧倒的な暴力にも屈しまいとする、人間的でたくましいその精神。そして映像の背後には、村人たちと出会い、共に闘い、やがて彼らと深い絆(きずな)で結ばれていく一人のイスラエル人、シャイの姿がある。 ※ ※ ※ 映画を撮る前、活動家として壁の建設に反対する運動に加わっていたシャイは、イスラエル人である自身の「特権」を惜しみなく利用した。村人が拘束されれば解放するよう軍や警察に働きかけ、裁判になれば法的に支援し、シャイはビリン村の闘争に欠かせない存在となっていった。 しかし、かつての彼は決して「政治的な」人間ではなかった。空軍で兵役に就き、テルアビブの大学で映画を学んだ。卒業後はテレビのコメディ番組のディレクターとして働き、将来を嘱望された。だがある日、パレスチナ自治区に初めて足を踏み入れた彼は、占領地の現実に衝撃を受け、自国の占領を深く問い始める。テルアビブに戻り、パレスチナの状況を誰彼なしに話したが、耳を傾ける者はいなかった。「テルアビブではみんな平和な生活をしているけれど、そこから車でわずか30分のパレスチナでは本当にひどいことが起きている。でもみんな目を閉じ、耳をふさぎ、『私には関係ない』と言うんだ」 映画を撮り始めたシャイは、自分が語るべきことを、映像がより雄弁に語ってくれると感じた。しかし、ここイスラエルで、占領地の現実を伝える映画を見ようとする者がどれだけいるのか。度々自問せざるを得なかった。 受賞後初の上映に集まった観客は12人。だが、映画は彼らに多くを伝え、上映後、率直な感想が語られる。「国を守るはずの軍が他人の土地を奪うなんて」「息子には ビリンでの軍務には就いてほしくないが、社会は兵役拒否を受け容れない」「息子たちが兵役で頭がおかしくなって帰ってくる理由がわかった」。シャイは彼らに「パレスチナ人は被害者だけど、兵士たちもまた被害者だと僕は思う」と話した。 ※ ※ ※ シャイは映画祭の後、占領に目をつぶるイスラエル社会への苛立(いらだ)ちを口にしつつ、こう語っていた。「でも僕たちは、自分がこの社会の一員であるということを決して忘れてはいけないんだ」と。その彼が「僕はビリンを、パレスチナ人を愛している」と語って、映画を幕を閉じる。偽らざる彼の気持ちだが、イスラエル社会への「反逆者」であることを自認するかのような表現にシャイがあえて踏み込んだのは、イスラエルとパレスチナの橋渡しになろうとする、彼の意志の現れなのだろう。 イスラエル社会が今は想像することのできない、敵ではなく、ただの隣人でもなく、「愛すべき友人」としてのパレスチナ人の姿。ビリン村の激しい衝突のさなかで、シャイがかすかに垣間見た希望が、映画には映し出されている。 ( 大月啓介 / 信濃毎日新聞 2008年1月23日掲載 )
by lusin
| 2008-02-05 16:33
| パレスチナ/イスラエル
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