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2007年 08月 02日
2005年9月、パレスチナ自治区・ガザ地区の各地で、人々が通りを埋めた。イスラエルが建設したユダヤ人入植地のガザ地区からの撤退を祝うパレードだった。人々は抵抗運動の勝利を叫びながら通りを練り歩き、パレスチナ武装組織の各派は「我らこそがイスラエルをガザから追い出した」 と喧伝した。
ガザ地区では、「入植者を守るため」 に駐留するイスラエル軍によって、多くのパレスチナ人の命が奪われ、また家屋が破壊され続けてきた。入植者とともにイスラエル軍がガザから撤退することを、人々は歓喜をもって迎えた。 ※ ※ ※ ガザ地区南部のラファ難民キャンプに住むラムズィ(26)も、撤退を実際に目にした時、「これからガザは、どんなに素敵な場所になるだろう」と胸をふくらませた。彼は、病気の父親を含め親族12人を養う立場にあったが、多くのガザの人々と同様、職にあぶれていた。かろうじて得られる日雇い仕事が月に2,3度。国連などの援助に頼らなければならない自分が情けなかった。 ガザ地区は、イスラエルによる「封鎖」 で外の世界との人や物の出入りが閉ざされたために、経済が破綻し、街には失業者があふれていた。ガザの人々には、入植地の撤退でその状況が変わることへの期待も大きかった。 ラムズィは、入植地跡地でのパレスチナ企業による農業再建プロジェクトの労働者として、念願の職を得た。「これでもう、あの惨(みじ)めな暮らしとおさらばできるともうと、たまらなく嬉(うれ)しかった」 と彼は言った。 多くの人が、ガザの未来に夢を描いた。「外国企業が跡地に投資するらしい」「観光でもにぎわうに違いない」「一大住宅群が建設される」。噂が噂を呼んだ。 しかし、2006年1月、10年ぶりのパレスチナ評議会選挙で、イスラム原理主義を掲げるハマスが圧勝し、政権に就くと、イスラエルはガザ地区の「封鎖」をそれまで以上に強化した。ガザで収穫された輸出用の農産物の多くは、出荷することができないまま腐り、捨てられていった。ラムズィが雇われた農業再生プロジェクトも頓挫(とんざ)し、彼は再び職を失った。 プロジェクト担当者が語る。「この計画は、米国やイスラエルを含め各国から確約を得ていた。ガザの経済再建のため、農産物の輸出は最優先で保証されるのだと・・・。パレスチナ人は再び、国際社会から苦い教訓を得たというわけです」 新たな経済活動の拠点となるはずだった入植地跡地は、その大部分が利用されずに放置されたままだ。撤退した入植者たちが残していった無数のビニールハウスが、虚しく風になびいている。 ある日、ラムズィは市役所に仕事を求めに行き、対応した副知事に怒りをぶつけた。副知事の返事はこうであった。「我々も給料をもらえていないのに、どこに君に与える職があると思うか」。ハマス政府に対する国際社会の「兵糧攻め」により、公務員も給料を得られず、実質的な失業状態にあったのだ。 再び援助に頼る暮らしに戻ったラムズィは「何も、ぜいたくな暮らしがしたいんじゃない。家族に日々のパンを買うための仕事がほしいだけなんだ」とつぶやいた。 ※ ※ ※ イスラエルは2006年6月以降、パレスチナ側からの攻撃に対する報復として、ガザへの激しい軍事侵攻と空爆を再開した。死傷者の数がまた積み重なった。「封鎖」によって外の世界と隔絶されたガザに、撤退したはずのイスラエル軍が再び戻ってきた。 「撤退などというのは、真っ赤なウソだったんだ。ガザは自由になるはずだったんだろう? なぜ、世界は俺たちを無視し続けるんだ」。ラムズィは言った。 ガザの人々はもう誰も、入植地の撤退直後に思い描いた夢を語ろうとはしない。 (大月啓介 / 信濃毎日新聞 2007年5月30日掲載) ※写真 ユダヤ人入植地の撤退後、跡地を見つめるパレスチナ人の家族 =2005年10月、ガザ地区・ハンユニス
by lusin
| 2007-08-02 00:09
| パレスチナ/イスラエル
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