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2006年 10月 28日
パレスチナのビリン村の壁反対デモに行ってきた。
断食月あけ初の金曜日、外国人が350人参加する、久しぶりに大規模なものだった。いつものことではあるけれど、音響爆弾や催涙弾、それにラバーコート弾などで、デモは蹴散らされていく。 催涙ガスを浴びて涙ダラダラ、息ができずにケホケホ。そばにいたイスラエル人のカメラマンがタマネギを貸してくれて助かった。(催涙ガスを吸ってしまった時は、タマネギの臭気を吸うと楽になるのです。今日は私はうかつにも忘れてしまった) デモに参加していたイスラエル人の友人二人が、ほぼ確信犯的な行為によって、兵士にとっつかまって、拘束された。兵士数人に取り押さえられ、フェンスの向こう側に連れ去れらていく二人の後姿を見て、一体二人はどういう意図であの挑発的な行動をしたのか・・・と考えてしまった。彼らが釈放されたら、ぜひ聞いてみたい。 パレスチナ人であれば、あのような「どうぞ拘束してください」 というような態度は、決してとらないだろう。イスラエル人と違って、一度放り込まれたら、裁判も何もなしに獄中の人となり続ける可能性も大で、一体いつ出てこられるのか分かったものではないのだから。活動家たちのある種の挑発行為は、イスラエル人、あるいは外国人だからこそ、できるのだ。 そんなこんなで、デモの混乱もひと段落してから、ある兵士が日本語で話しかけてきた。 「ニホンジン?」 この状況でイスラエル兵から聞く言葉としては、なんと場違いな。一瞬きょとんとしてしまう。隣にいた、日本人の友人が聞き返す。 「どうして日本語できるの?」 「ギフ ニ イタ。」 あれれ、ギフ、ですか。またなぜにそんなところに? 興味津々。聞きたいなあ。・・・が、こういう状況下で、イスラエル兵と楽しげに話すというのはリスキーだ。下手をすれば、地元のパレスチナ人に、「内通者か?」なんて思われてしまうかもしれない。ここではイスラエル兵は、憎むべき、ののしるべき相手であって、ニホン話で談笑する相手ではないのだ。 ・・・けど、彼は人懐っこそうな顔(に私には見えた)で、日本語で話しかけてきたじゃないか。彼のニホン話を聞きたいじゃないか・・・と、人知れず葛藤してる私をよそに、隣で友人が声を張り上げた。 「日本に行って、私たちの国も占領するつもりだったの!? そうなんでしょう?」 そ、そんな言い方って・・・。いくらこの状況下だからって、そんな対応はなかろうが、とびっくりした。一方、その兵士は戸惑いの表情を見せたあと、しかし持ちこたえて、「・・・コンニチハ」 と言った。 そんなこと、まだ言ってくれますか。よし私も、「コンニチハー!」・・・と言おうと思った、その矢先、友人が今度は 「サヨーナラー!!」 と切り捨てた。 またそんな対応すんの? その時の、兵士の困ったような、ちょっと寂しそうな顔が忘れられない。・・・などという私の反応は、自分でもひどくナイーブだなあ、一体どうなってんだ、と思う。催涙ガスでダラダラ涙を流したせいだろか。でもその後も、彼のことがどうも気になり、しばしの後に人々がさばけてきてから、そっと彼に近寄り、小声で聞いた。 「日本では、何してたの? アクセサリー屋?」 「カラテ。 タイカイモデタ。 アサイセンセイ、シッテル?」 そうか、空手か。残念ながらアサイ先生のことは知らないけど。ギフ話とか、空手話とかしたかったのだけど、やっぱり、どう考えても、そういう話をする状況じゃない。「おーい、空気を読めやー」と、頭の中でささやき声が。うーむ。で、その声に従い、サヨナラ、と言って彼から離れたら、彼もサヨナラ、と言って笑いながら小さく手を振ってくれた。 デモが終わったあと、アメリカ人の知人に、「こういうデモって、いつも悲しくなる」 と言うと、「ナイーブ。これが現実よ、ハン」 と鼻であしらわれた。・・・ひどいなあ、えらくナイーブな反応なんてのは百も承知で言ってんのに。「これが現実なのよ。わざわざここに来なくても、悲しいことやひどいことなら、テルアビブにだってどこにだって、いくらでもある」 と。それはもちろん、その通りなんですが。 あのイスラエル兵を一刀両断にしていた日本人の友人には、「イスラエル兵だからって、ああいう対応ないんじゃないですか?」 と文句言ったら、「全然ふつう」 と一蹴された。 それにしても、今日はなぜか本当に悲しかったのだ。その要因のひとつと思われるのは、あの兵士とのやりとりだ。軍務として、命令に従ってここにやって来た一兵士に過ぎない彼を批判する理屈というのは、「このような非人道的な軍務は拒否しろ、それができないというのなら、お前は抑圧者だ!」 ということなのだろうけど。 それは正論であり、そして兵役拒否運動の論理でもあり、イスラエルを内側から変えていくためのとても大切なひとつの方向性だと思う。でも同時に、「皆が皆、兵役拒否者や活動家のような強さを持てるわけではない、人は弱いものだし、彼らのその弱さを責められるのか」 てなことを考えてたら、何だかとても悲しくなった。責める人と責められる人。そしてその責められる人はもちろん、その村を踏みつける人でもあり、つまり彼らに踏みつけられる村人がいる。それらどの立場に対しても、とても切ない気持ちになった。 彼とのちょっとしたやりとりが、未だにすごくひっかかっている。本当にたわいもないことだけど、せっかくむこうから関わろうとしてくれたのに、それを「お互いの役割」 を慮るあまり、それを拒否しなきゃいけなかったということが、切なかったのかなあ。それとも、「批判すべき対象」 としてそこに存在していた/させられていた彼のことを考えて、切なくなってしまったのだろうか。自分でもよく分からない。 何にしても、今日のデモは、自分でも笑えるくらいにセンチメンタルになってしまったのだった。ガスを吸いすぎて、おかしくなってしまったんだろうか。ひょっとして、新手の催涙ガスか? まあ、時にはこういうこともあるでしょう。
by lusin
| 2006-10-28 04:17
| パレスチナ/イスラエル
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