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2006年 10月 27日
(前回の文章のつづきです)
村でのお泊りに気を良くした彼女は、その後、西岸の中心都市、ラマッラに行った。そこで多くのパレスチナの若者と接した彼女は、彼らがイスラエルから押し付けられている様々な制約や暴力に、そして、彼らのユーモアのセンスにひどく驚いていた。 「どうしてあんなにポンポン気の利いたジョークが言えるの?」 不思議がる彼女に、私と友人が言った。 「知らないの? パレスチナでは、小学校から週に2時間ジョークのクラスがあって、そこでみっちり叩き込まれるんだよ?」 彼女は、なるほど、どうりで、と信じていた。 その後、彼女はやはり西岸の、ヘブロンという街に出かけて行った。 そして、そこでのユダヤ人入植者とイスラエル兵による、パレスチナ人への嫌がらせ、暴力を目の当たりにした彼女は、強烈なショックを受けていた。 「何なのアレ? どうなってるの? 本当に怖かったし、ものすごく悲しかったし、気分が悪くなった」 しばし落ち込み気味だったが、その後、もっともな疑問を発し始めた。 「そもそも、ユダヤ人の入植地って、アレ一体何なの? 何でパレスチナ人の街に、ユダヤ人があんな風に居座っているの?」 それらの経験を契機に、大きな状況にも目を向けはじめたらしかった。彼女は、最初の印象のように、政治的なことが嫌い、というのではなくて、それはただ、「自分の目で見る前に、人の価値観を通した情報を仕入れたくない」 という姿勢だったらしい。自分の感覚をもとに、少しずつ、物事の輪郭を描いていきたい、という。そう言えば、こうも言っていた。「ここのことを知るのに、活動家のレクチャーなんか聞く必要はない」 しかし、無防備な状態で突撃しているだけに、感情があっちにこっちに大きく揺さぶられていて、見ていてめまぐるしかった。しかし、感情によって彼女にとってのとっかかりをつかんだ後は、「大きな構図」を知ろうと、あれこれ人の話を聞いていた。単に、このあたりを見てみたい、という態度から、少し踏み込み始めたようだ。 が、そうやって、自分なりにこの地の状況をつかみ始めたその後も、彼女はこう言っていた。 「それでもやっぱり私は、怒ってたり叫んでたりする人はすごく苦手だし、イスラエル兵や入植者の暴力に触れると気持ち悪くなってしまうので、見たくない」 彼女は「怒り」は全くもって非生産的なものだと捉え、その感情を否定していた。そして、暴力を直視できないと言っていた。彼女は接してはいないが、もちろん、パレスチナ側の暴力を目にしても、同じ反応をすることだろう。 「じゃあ、パレスチナ人が、あんなひどい目にあっても、非生産的だから怒るべきじゃないってこと? 彼らに共感した人も、怒るべきじゃないとってこと?」 「そういうわけではないけど・・・」 彼女は、自分でもよく分からないがもどかしい、という風であった。 でも、彼女の感じているもどかしさは、分からんでもない気がする。 パレスチナの人々の強烈な感情の波を前にして、本当に、どうしていいのやら困ってしまうことが私にもある。そしてイスラエルの側の、パレスチナ人のそれとは全く異質ではあるが、これまた強烈なある種の感情に接することも多く、やはり戸惑ってしまう。 そういう自分の事情もあり、私は、それぞれの人が、ここで接した感情、あるいは自分の中に生まれた感情に対して、どう向き合うか、ということにとても興味がある。特に、彼女が受け入れることを拒否した、この地での「怒り」や、「暴力」を前に生じる、とてもやっかいな感情に。あるいは、当事者の、深い絶望や悲しみに。 そういう心の平穏を脅かすものを、わざわざ視界に入れようという「外の人間」は、きっとよほどの変わり者だろう。私自身は、以前も書いたが、ここでの経験によって、激しい感情が湧き上がりそうになると、それをシャットアウトして、バランスを保とうとしてしまうことがある。それが良いか悪いかではなく、そういう反応をしてしまうのだ。 またある状況下では、とても暴力的な感情が自分の中に生まれていて、それを見て見ぬふりしているのに後から気づくこともある。それにしても、外からやって来て、「平和的な解決」とやらを語る者が、自分の中の暴力的な部分に無自覚でいるほど、やっかいなことはないと私は思う。 でも、「私たちはそれらと向き合わなくてはいけない」 ・・・というような、力強いことは私には言えない。そう言うには、世の中には「向き合わなくてはいけないこと」 が、あまりに多すぎるのだし。向き合った結果、その人に何が起こるか、なんてことに責任は取れないし、それに、ひょっとしたら 「自分にはその現実を変える力はない」 という、冷酷な現実が待っていたりするのかもしれないのだから。 知っているのに何もできない / 知ったけれども何もするつもりはない、というのは、精神衛生上、あまりよろしくない。それなら、初めから知らない方がよい。「不運にも」見てしまったなら、見なかったことにしよう、と無意識に画策するのは、ある意味でとても自然な反応だと思う。 でも、その上で、思うのだけど。 日々、世界が目をそむけ続ける中で、踏みつけられる、あるいは殺されゆくパレスチナの人たちのことを思うとき、私自身は、それらの感情との、しっかりした 「向き合い方」 を模索する必要に迫られている。そして、その中に、何か大切なヒントがあるんじゃないか、と思ってたりもする。 つまり、遠い世界と自分とをつなぐものは何だろうか、ということ。そこへの、どういうコミットの仕方があるのか、ということ。これは、もう多くの先人や知恵者の方々が考え尽くしていることだろうけれど、私にはまだよく分からないので、自分なりに、今さらながら、ここで考えさせられるのでした。 ・・・とまあ、あらためてそういうきっかけを与えてくれた、悪徳5つ星レストランの皿洗いの彼女に、深く感謝。
by lusin
| 2006-10-27 07:01
| パレスチナ/イスラエル
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