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2006年 10月 25日
ある時、同じ宿に滞在している韓国人の旅行者が言った。
「ここの人たちは、みんなシリアスすぎる。私は、そこには加わりたくない」 宿に滞在しているジャーナリストやら、平和活動家やらのことを言っているらしい。 「みんな、誰が正しいとか、誰が間違っているとか、ジャッジばっかりして、うんざり。なんか、みんな怒ってたり、叫んでたりするし。私はのんびりと、自分のペースでこの国を見て回りたい」 怒ったり叫んだり、か。 確かに、日本人と比べると、パレスチナ人はしょっちゅう怒っているし、叫んでいるかもしれない。それに、パレスチナに関わる活動家も、やはり怒ったり叫んだりする機会は、この地では普段よりは多くなることだろう。私も基本的には、怒ったり叫んだり、というのは苦手だけど、でも、それをここで、状況をまだよく知らない人が批判しちゃあ・・・という気持ちもある。 「ところで、あなたはどうしてここにいるの?」 不意に聞かれたが、深く考えずに答えた。 「興味があるから」 「人権がどうとか、正義がどうとかを主張するためなんじゃないの?」 なんか、つっかかってくるなあ。 「もちろんそれはとても大切なことだと思うけど、多分、好奇心のため、という方が近いんじゃないかと思う」 すると、珍しいものでも見るような目で私を見た後、彼女が言った。 「私はワシントンで、×××に勤めているの」 おお・・・? 意外なカミングアウトであった。 それは、表向きにはまさに、「正しきことのため」 に存在していると看做されている、ある国際機関であった。しかしその実、状況を良くすることには全く貢献せず、それどころか彼らの意図は・・・などと批判をされることの多い、某国際機関。 「ここで勤め先のことを言ったら面倒なことになるだろうから、レストランで働いている、ということにしてる」 確かに、そうだろう。ある意味、現在の(悪い意味での)グローバリゼーションの実行部隊とみなされることも多いその機関は、パレスチナに関わる者にとっては、直接の敵、ではないとしても、敵の親戚、くらいの仇にされる可能性大だろう。 それにしてもどうして、そんな「より良き世界のために貢献する」(という表看板の)機関に勤めていながら、正義だの何だのを毛嫌いするのだろうか。 「同僚のエコノミストたちは、途上国などのために働いていることになってるけど、現場のことなんか、まるっきり分かってないし、分かろうともしていない。一日中オフィスで、わけの分からない数式を使って、誰が読むのか分からないレポートを作ってる」 なかなか辛辣だ。ついでに、「既にすごい高給を得てるのに、いつも更なる賃上げを要求してる」とも。 そういう同僚の姿を見ていると、「人のため」とか「正しさ」 を主張するような類の人間は胡散くさく思える、とのことだ。 ずいぶんな飛躍だなあ。 「んなこと言って、あんただってそのレストランからいい給料もらってるんだろうに」 「私はシェフじゃなくて皿洗いだから、全然大したことない」 そういう問題か? 「そんなに文句があるなら、どうしてそこで働いてるの?」 「長期休暇が取れるから」 ・・・以前の勤め先の韓国の某大企業では、散々こき使われて、疲れ果ててしまったのだそうな。 その彼女が、ある日どういうわけか、「西岸のパレスチナ人の家に泊まってみたい」と言い出した。そして宿の主人に相談して、ある家族を紹介してもらった。 その家族の住む小さな村は、現在ではパレスチナに関わる人々の中では最も有名な村のひとつで、非常に強いメッセージを発している村だ。しかも泊めてもらったのは、その運動の中心人物の家だ。彼の、あるいはその村の発する、ある種政治的なメッセージに、彼女がうんざりしないかちょっと心配だった。 そんなことは露知らぬ彼女は、そこに一泊して、翌日元気に戻ってきた。 「子供がいっぱいだった、赤ちゃんがかわいかった、お母ちゃんにタンクトップをはしたないと注意された、おばあちゃんが踊りだして愉快だった、おじいちゃんが歯が全然なくて笑うとキュートだった・・・」 ひたすら語り続け、本当に楽しい時を過ごした様子で、私の心配は杞憂であった。彼女は、パレスチナの人って愉快で素敵ねえ、と言っていた。 メディアなどで取り上げられることも多い、パレスチナを代表するその村の「平和的な抵抗」のことなどは、一言も聞かなかったらしい。わざわざあの村に泊まりに行って、そんな態度の外国人は、きっとその村では彼女が初めてだろうが、まあそれも一興だろう。 (書きかけ。つづく。たぶん)
by lusin
| 2006-10-25 04:56
| パレスチナ/イスラエル
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