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2006年 10月 04日
同じ宿に泊まっている日本人の写真学生が、先日の夕方、見事に沈み込んだ表情で宿に戻ってきた。どうしたのかと聞くと、彼は 「やられました・・・」 とつぶやいた。エルサレムに近いパレスチナ難民キャンプに撮影に出かけていて、地元の人間にカメラと現金を奪われたとのこと。
指先でつついたら後ろに倒れそうなほどに、身体から力と気力が抜けた様子だった。彼は、「心がなえた」と何度もつぶやいた。私にも同じような経験があるので、その気持ちはとてもよく分かる気がするが、海外に長くいれば、まあ一度くらいは誰しも経験することだろう。ちなみに彼はパレスチナは今回が3度目とのこと。 人気のない通りで、二人組の若者に襲われ、首投げされた上に押さえつけられ、顔をぶん殴られたのだそうだ。旅行者が刃物で脅された、というのはエルサレムあたりではたまーに聞くが、そりゃ珍しい。 パレスチナ人は、めったに人を殴らない。 怒涛の口論はしょっちゅう見かけ、いつ手が出るか、とハラハラしていても、結局そこには至らない。 が、家族間の揉め事などでも銃を持ち出すこと(特にガザでは)はたまにあるし、ちびっこなぞは、よくケンカして石を投げつけてるのなんかを見ても、一般的に言って、「暴力自体に対するタブー感が特別に強い」 というわけではないとは思う。 ただ、自分の身体で相手を殴る蹴る、ということに対するタブーのような感覚(?)はどうやら強いようで、私はそれを興味深く感じていた。なので、パレスチナ人に 「ぶん投げられて、ぶん殴られた」 ホットな体験談を、私は非常に興味深く聞いてしまった。 話を聞いていて、その二人組のことを私が 「腹立つなー」 と言うと、彼は、「腹が立つというより、悲しいんです・・・」 と言った。 「パレスチナ人の状況を見て伝えようとしているのに、こんな仕打ちをされて」 パレスチナに関わる外国人たちは、良くも悪くも 「助けを必要とするかわいそうなパレスチナ人」 を思い描き、そして彼らのために・・・という思いでやって来ることが少なくないだろう。彼自身も、そういう自分の気持ちを認めていたし、私自身も、パレスチナに来る以前は、そのようなパレスチナ人像を、無意識に思い描いていた。 あちこち他の国で、いかに「先入観」があくまでも先入観に過ぎないか、ということをあれこれ経験した後でも、パレスチナ人に対するステレオタイプからは、自由ではなかった。それほどに、「パレスチナ人」のイメージは強力なのかもしれない。ひもじいみじめな難民か、あるいは過激なテロリスト。 だが、そんな自分の頭の中でこさえたものなどは、すぐに現実に裏切られるのだ。 「かわいそうなパレスチナ人」 「誇り高き抵抗者」「血も涙もないテロリスト」 なんて人たちは、ここにはいないのだ。いるのは、優しさもずるさも悲しさも喜びも持った一人一人の固有の人間で、彼らは、私たちと同じように、時と状況によって強くもなり、弱さをさらけ出しもし、誇り高くもなり、卑怯にもなりえる、一人一人の、それぞれ固有の人生を持った人たちなのだ。あたりまえだけど。 「こんなにショックなのは、地元のダチの結婚式に出たとき以来っす」 と女性のようなことを彼は言っていて、どれほどショックなのかはその言葉からはイマイチよく分からんが、彼の表情は、世界中の人間から見捨てられたような絶望感に満ちていた。何度も、「気持ちがくじけました」 と言っていた。 なので、その 「かわいそうな青年」にうまい飯を食わせようと思い、街に出かけた。パレスチナ人不信に陥りそうな彼にホモスを食わせるのも何なので、タイ食堂に行って、タイ飯・アラ・イスラエリを一緒に食べた。 ビール飲む? と聞くと、彼は 「海外では酔うと危険なので、飲まないんです」と断った。このことでも分かるが、彼は決して「軽率な旅行者」ではないし、とても真剣に写真とパレスチナに向き合っていると感じさせる青年だった。そして、多くのパレスチナ人の優しさや、寛大さに触れてきたからこそ、今回のことにこれほど落ち込んでいるんだろう。 だが、アラーは彼を殴られっぱなしにはしておかなかったらしい。 物盗りのあと、難民キャンプで抜け殻のようになってさまよっていた彼に、地元のおじいちゃんが声をかけ、彼を家でもてなし、なぐさめ、しかも100シェケルを恵んでくれたのだそうな。 100シェケルというのは、日本人にしたら一度の飲み代にもならないかもしれないけれど、彼らにとったら大金だ。 助けを必要とするはずの人たちに、助けられてしまった。 彼はしみじみと、「人の優しさが、心にしみました」 と言っていた。時おり、彼はぶん殴られた頬に手をやり、いてー・・という表情を見せ、そのたびに私は笑った。 「かわいそうなはずのパレスチナ人に、首投げされて、組み伏せられて、ぶん殴られたうえにカメラと金を奪われる、ってのは、なかなかいい経験だねえ」 と、本心ながらも無神経なことを言うと、彼は苦笑いしていた。それに、しかも。 その事件で突き落とされた後に、彼はしっかりと、パレスチナ人のめいっぱいの優しさに触れているのだし。 今、彼は再び 「懲りずに」、ナブルスの難民キャンプに撮影に出かけている。
by lusin
| 2006-10-04 19:30
| パレスチナ/イスラエル
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