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2006年 09月 02日
ガザを出てすぐのある日、イスラエルの首都テルアビブに住むユダヤ人の友人Cに、久しぶりに電話をした。すると、「おおー、久しぶり。 元気かい? 何だ? 俺にインタビューをしたいのか?」と。
は? インタビュー? 何で俺が君にインタビューをしなくてはいけないのか? つまらん冗談かと思っていたら、そうでもない様子。まあいい。「とにかく会おうや」 ということで、うろ覚えながらも何とか彼のアパートにたどり着いた。テルアビブの南部、いわばダウンタウンに位置する、いい具合に年季の入った建物だ。 彼の部屋では、以前からの同居猫に加え、新たに家族になったらしい白い毛むくじゃらの犬が尻尾を振っていた。 Cとは一昨年、パレスチナのヨルダン川西岸の村でのデモで出会った。ちなみに何に対してのデモかと言うと、「壁建設反対」 のデモだ。 壁というのは、隣り合うイスラエルといわゆる「パレスチナ領」 とを、物理的に分離するための壁だ。パレスチナ人の土地を奪いながら、生活を分断しながら、その壁の建設を続けているのはイスラエル側。 それに猛烈に抗議しているのが、壁に取り囲まれ、「ゲットー」に押し込まれることになるパレスチナ側。長くなるので、この壁については、別の機会にゆずるとして。 お互いの近況などを話している中で、彼のニュースを聞いた。Cは2年前からずっと、パレスチナ側の壁建設反対闘争の撮影を続けてきたのだが、今年、それをまとめたドキュメンタリー映画を完成させた。そしてその映画が、エルサレムの映画祭のドキュメンタリー部門の賞を受賞したのだそうな。 なので、彼は私が「受賞監督」 へのインタビューをしたいのかと思ったのだろう。 彼は、撮影をするだけではなくて、壁の建設に反対する「イスラエル側の」グループにも関わっていて、頻繁にパレスチナに出向いている。先日も、カメラなしである村のデモに参加していて、毎度のことながら、イスラエル兵にこっぴどくしばかれていた。 ちなみに、彼らのようにパレスチナに出向き、パレスチナ人と共にデモをするユダヤ人というのは、イスラエルの中では圧倒的なマイノリティであり、よくて「変人」、悪ければ「非国民」 ということになる。 そして、「裏切り者」 のユダヤ人に対してのイスラエル兵の対応は厳しい。 Cはもともと、とても物静かな男なのだが、久しぶりに会ったこの日はどうもあまり元気がないように見えた。 今まで、金をつぎ込んで壁反対運動の撮影をしてきたことに少々疲れているのか、何なのか。 彼は、「受賞監督」らしからぬ、愚痴ともあきらめとも思えるようなことを、ぽつりぽつりと語った。 パレスチナに行ってデモに参加した後、ここテルアビブに戻ってきてそのことを人々に話すと、「クレイジー!」「幻想を抱くな」 と言われてきたよ。そりゃ、テルアビブでは皆、お茶を飲み、語り合い、ショッピングをし、平和な生活をしているよ。でも、ここから1時間もかからないパレスチナでは、本当にひどいことが起こっているんだ。皆、目を閉じて、耳をふさいで、「自分には関係ない」と言うけれどね。 そうなのだ、壁が建設されているヨルダン川西岸の村からは、ここテルアビブのビルが肉眼で見えるような距離なのだ。夜などは、パレスチナ人が超えることを許されない壁の、「向こう側の世界」の街の明かりがきらめいていて、とても不思議な感覚に襲われる。 私は今、壁の「こちら側」のテルアビブで、イスラエル人たちの中に身を置いている。 そして、ここから壁の向こう側のパレスチナの慣れ親しんだ村に思いをはせてみると、悲しいかな、「一般的な」イスラエル人の感覚に引き寄せられてか、パレスチナが、「向こう側」 の遠い世界のように感じるのだ。まして、パレスチナ領になど行ったことのない多くのイスラエル人にとって、壁の反対側のことなんて、イスラエル軍によって何が起ころうが、「知ったこっちゃない」 で済ませられてしまうということは、容易に想像がつく。しかもその状況は、どんどん悪い方向へと向かっているように見える。 今まで、忍耐強くパレスチナ人との対話、共存を求めていた人たちですら、今の状況下で、「OK,もう十分だ。対話や共存は、ムリだったんだ。なるほど、実は今まで極右が言っていたことは、正しかったんだ」 と態度を変えてきているよ。この前、レバノン戦争が始まった時に、まわりの人たちに反戦の意見を言うと、「うるさい、あっちへいけ」「そんなことは聞きたくない。知ったことではない」と、嫌がられたよ。こんな時期に、パレスチナ人と連帯しての壁反対闘争の映画なんか、誰が見ようとするかな。 うーん、確かに。 多くの人々は、いつレバノンとのいざこざが再び始まるか、始まったならば、次はどのように 「しっかりとヒズボラを叩き潰すか」 てなことを語っているのに、そんなときに、「パレスチナ人の困難」 に、「自国が行っている犯罪」に 目を向けようというイスラエル人なんて、どれほどいるのだろうか・・・。 自分は、今まで、映像に関わる者として、ドキュメンタリーを通してNOと言おうとしてきたんだ。でも、今の状況で、それがどれほど有効なのか分からない。戦時には、人は 「敵」 の言い分になんて耳を貸そうとはしないんだよ。 なるほどCは、彼を取り巻くもろもろの状況に、とてもくたびれているようであった。 しかし、愚痴ともぼやきとも思える言葉をひとしきり発したあとで、「でも」 と、彼はとても大切なことを言った。 でも、俺は、イスラエル人の痛みも決して忘れてはいけないんだよ。 イスラエル人への共感を忘れてはいけないんだよ。 自分がこの社会の一員であるということを、決して忘れてはいけないんだよ。 うーん・・・自分の良心を信じて歩むことによって、深く傷ついているのは、誰よりも自分のはずなのに、こんなことを静かに語ることのできるCに、私はとても驚かされた。 「イスラエル人の痛み」 が何を意味するのかは、安易に言えることではないし、私にはまだ良くは分からないけれど、彼らもまた深く傷ついているということは、確かだと私は思う。 少なくとも、人をこっぴどく殴りつけておいて、自分だけ本当の意味で無傷でいることなんて、できないと私は思う。 それにしても、どんなにNOを突きつけようが、どんなに我慢のならないことが繰り返されていようが、この国イスラエルが、彼にとっての祖国なのだ。 NOと言うことで、その祖国と、そこに生きる同胞とのつながりをなくしてしまうことは、きっと彼にとっては本末転倒なのではないだろうか。祖国を批判し、忌み嫌い、そして去っていく人々もいるが、Cは、心から、祖国をよい場所にしていきたいという、私から見たら半ば絶望的とも思える願いを持っているようだった。 そして、物静かな彼のその想いがどれほどのものかは、彼の映画を見る者には、痛いほどに伝わってくる・・・なんて言葉では言い表せない本当にさまざまなものが、私の心に届いてきた。きっと、日本でも近いうちに、彼の映画を目にする機会ができるのではないかな。 こんなことを言ったらほめすぎかもしれないけれど、イスラエルは、今はまだ圧倒的に少数派の彼のような人々の良心に、かろうじて救われているのではないかなあ、とつくづく私は感じている。
by lusin
| 2006-09-02 08:03
| パレスチナ/イスラエル
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