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2006年 08月 06日
今、これを書いているのは、夜の1時前。
静まったラファハの町に、上空からの無人攻撃機の耳障りな音が響いている。一段と高度を落としているのか、普段よりさらにけたたましい。時折、爆撃音が聞こえる。それは、誰かの頭上に降った砲撃の音だろうか。 昨日の夜中も激しい爆撃の音が響いていて、家主のHが 「眠れなかった」 と言っていた。幸い、私はその攻撃が始まる前に眠りについて、ぐっすりだったので、朝まで攻撃のことを知らなかった。 まったく、知らぬがホトケ、だ。 が、今夜は、攻撃が始まる前に寝損ねてしまい、この状況下で、なかなか寝付けそうにもない。今回の攻撃は、3日前に始まった。 標的になっているのは、ここラファハから南東4,5キロのあたりに位置する、農村地帯のショウカ。 2日前の8月3日、1日休養をとってのんびりするつもりだったが、朝、家主のHが私と顔を合わせるなり血相を変えて言った。「昨夜、何があったか知ってるか?」 「知らん」 「ショウカが侵攻された。 で、俺の友人が、明け方にうちに避難してきた」 彼の部屋に行くと、3人の男性が、ぽつねんと、茶をすすりつつ、所在なさげに座っていた。そのうちの一人は、つい先日も家主の家で会い、ありがたい 「イスラム談義」 を聞かされた(聞かせていただいた)A氏ではないか。 そういえばその時、「今度ショウカにある私の家に遊びに来なさい」 と誘われたな。 彼は、昨夜の出来事を、静かに話し始めた。 夜中にショウカが空爆され、死傷者が出たこと。多くの人が、彼らが運ばれた病院に行ったが、その病院付近に戦車が近づいてきたこと。その後、さらに侵攻が激しくなっていたショウカに戻るに戻れなくなり、「隣街」のラファハのH宅に明け方に歩いてやってきたこと。 そして、犠牲者の一人はA氏の友人で、その死体は、「首と両足がなくなっていた」 ということだ。 A氏は、「彼は、天国で待ってるよ」 と静かに言った。 「君のことも待っている」 とも言われた。そんなもん、待たんでいいが、状況が状況だけに、悪い冗談なのか何なのかは、謎であった。 今日、ショウカからの避難民が収容されているラファハの小学校を訪ねた。 以前から何度かお邪魔している、ショウカに住むUさん一家を2日前から探していたのだが、電話が通じず、居所が分からない。 避難民の人々に聞いてみても、「タルエススルタンの親戚に身を寄せている」 とか、「別の学校に避難している」 とか、とにかく居所ははっきりしなかった。 が、ひょんなことから、彼らの居所が分かった。なんと、U一家はまだショウカにいるのだそうな。 ホント?・・・逃げないのか? なぜにまだショウカに? 逃げ遅れたのか? 直接話したわけではないので、詳しいことはわからないけれども・・・。 2週間前にも、ショウカにUさん一家を訪ねたが、たまたまその前日に彼らの家に迫撃砲が撃ち込まれていて、母親のUさんは、怒り心頭に、狂ったようにイスラエルを罵っていた。不幸中の幸い、彼ら一家に負傷者はなかった。しかし自分の家を迫撃砲が直撃したということが、よほどのショックで、恐ろしくかったのだろう、彼女は砲撃から1日経ったその時も、ひどく取り乱していた。 彼らの家は、父親がイスラエル軍に暗殺されているので、まだ17歳の長男が家長の役割を担っている。それを意識してか、ベドウィンであるがゆえか、長男は、私たちが訪ねるたびに、警戒し、少々厳しい顔つきで傍らに座り、私たちの様子を伺っていた。しかし、若くして 「家族をよそ者から守る」 という役目を負っている彼も、何度か訪ねるうちに、少しは警戒を解いてきてくれたようだ。 そして、父親を失った家庭の暮らしは、この社会においては当然ながら苦しく、彼らはいくつかの団体や親戚からの援助に頼りながら暮らしていた。 今、母親や彼や、その妹、弟たちは、どれほどの恐怖と向き合っているのだろうか。頭上では、24時間、無人攻撃機が腹立たしい飛行音とともに、にらみを利かせている。これは、ここの人はまったく慣れっこになっているのかもしれないが、それは、少なくとも私にとってはものすごい心理的なプレッシャーだ。そして、今のショウカには、地上にも、人を殺すために訓練された多くの兵士と、人を殺すために開発されたさまざまな機械も幅をきかせている。 近隣の人が、ここ3日で十数人、殺されているのだ。次が自分たちの番ではない、という保証はどこにもない。 なんて素敵な世界に、彼らは生きているんだろう。
by lusin
| 2006-08-06 16:53
| パレスチナ/イスラエル
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