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2006年 07月 31日
助手のMが退院し、一息ついた日、大事に至らずに済んだことをアラーに感謝する宴が催された。
私が生贄となる羊をふるまうことになり、前々日、Mの兄と共に、市場に羊を見に行った。 哀れ目をつけられたのは、60キロとよーく肥えた羊ちゃん。当日、会場である彼の家に行くと、すでに羊ちゃんは大鍋で煮込まれていた。 親戚縁者、近隣の人々一同が集まり、料理が出来上がるまで、あれこれと話してすごす。 今となっては、Mにとっても笑って話せる出来事、になっているあの日の「思い出話」をした。 「俺は、もうずっと、落ち着け、落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせたよ。」 「家の主人は、もう完全にパニックになってたな。」 「周囲の人が家から出てきて助けてくれなくて、絶望的になったよなあ。」 そして、「K,お前の名前、ヘンテコなパレスチナの名前で報道されてたよな」、と、Mの家族の間で定番となっている笑い話をした。 あるラジオで、私の名前が「ケイ・ケファルナー」という、ナゾの日系パレスチナ人 (ケファルナーは、あの町の大家族の名前)として報道されていたのだ。それ以来、彼の家族には、「ケイ・ケファルナー!」 と呼びかけられて、からかわれていた。 すると、その日の宴に招かれていたサマーハの親父(記事参照)が、言った。 「その名前は、俺がつけたんだ。」 は? なにそれ? 「実はな、病院で、お前が治療を受けているとき、記者にお前の名前を聞かれてな。言っといてやったよ、「ああ、こいつは知り合いでな、名前は「ケイ・ケファルナー」だ、と。」 おいおいおい、ガセ情報の出所は、あんただったか。それにしても、そんな名前をそのまま報道する記者も記者だ。日本でパレスチナ人がケガをして、彼の名前が「西園寺アハマド」 と言われて、ああそうですか、と思う人がいるだろうか。 他にも、誤報が多くて、「日本人ジャーナリストが頭部を撃たれた」とか、「日本人女性が負傷」とか、「ケイ・オトスキー」(ロシア系?)とか。 それに、そもそも、今思い出したが、ケイはニックネームだ。 まあ、何はともあれ、お互い、大事には至らずによかった。調子が良いが、この件ばかりは、アラーに深く感謝したい。あの日のあの町での犠牲者のことや、その後のガザの惨状を思うとき、心から、「俺たちは、本当に運がよかった」 と、度々言い合わずにはおられない。
by lusin
| 2006-07-31 15:24
| パレスチナ/イスラエル
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