カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2011年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 03月 2007年 01月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 フォロー中のブログ
MEDITATE ONLINE 高遠菜穂子のイラク・ホー... from ayako やんわりまったり ハムスターパゾ 今もス... ニュースの現場で考えること 写真でイスラーム 中東イベント情報 イノレコモンズのふた。 イスラムアート紀行 今日のできごと ブルーテント村とチョコレート 旅と絨毯とアフガニスタン ariphoto diary 『ウシゴコロ』 東京・高円寺カフェ&バー... リキシャで日本一周(写真... きらきらひかる 246表現者会議 ジモティーでいこう。 リンク
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 07月 22日
ブログでは愛すべきトホホなパレスチナ人の話を書きたいと思っているし、なぜかそんな出来事にばかり遭遇するのだけど、でも、今日はそんな気にもなれそうもない。
ガザへの攻撃は続いていて、今日取材した病院では、頭がおかしくなりそうだった。心の機能を一時停止しないと、とてもじゃないが耐えられない光景だった。 たいてい、このような出来事を取材する人間は、伝える相手に対して、「いかに自分が向き合った人の苦しみに、共感してもらうか」 ということのために、心を砕くだろう。 けれど、現場にいる自分は、共感し切ることなどできない。 そうしようとも思えない。少しでもその共感の弁を緩めると、とても心が耐えられそうもないのだ。だから、必死で、その弁が開かないように、緩まないようにふんばるのだけれど、そんなことを完璧にこなすことが平凡な自分にできるはずもなく・・・。 どうして、庭先で遊んでいたこの子が、砲撃されてこんな目にあわなくていけなかったのか? どうして、家で眠っていただけのあの人が、こんな姿に成り果てなくてはいけなかったのか? 人間の「意図した行為」によって、愛する人をこんな目に合わされた人は、その後どうやって生きていける? そして、もっとも恐ろしい問いは、 「もし、これが自分の子だったら?」 こういう現実に、どう向き合っていけばいいのか、いまだにやはりよく分かりません。 が、あんまりそういう事を考えて凹んでると、パレスチナ人にヘナチョコ呼ばわりされてしまうので、毅然と (したフリを) してます。
by lusin
| 2006-07-22 03:49
| パレスチナ/イスラエル
|
ファン申請 |
||