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2006年 07月 13日
トランジットで立ち寄ったモスクワ空港でのこと。
毎度世話になっている、空港内のトランジットエリア在住のパレスチナ難民ジョージに会おうと、彼がかつて陣取っていた場所へ行くが、彼の姿はない。 すでに晴れて第三国へと渡ったのだろうか、あるいは故郷へと帰っていったのだろうか。 とりあえず、8時間のトランジット中、眠ろうと、新聞紙を広げて横になる。この空港のトランジットエリアの充実度は涙モノなので、人通りの少ないエリアでそのようにしている旅行者がチラホラ。 1時間くらい眠ったころ、少年少女とおばちゃんのけたたましい笑い声に目を覚ます。 顔を上げると、まさに少年少女とおばちゃんがすぐ横でトランプに興じていた。 床にマットを敷き、傍らには山と積まれた荷物。 ・・・ヒマだったので、話しかけてみる。 彼らは、イラン出身の親子とのことで、カナダへ向かう途中らしい。 が、少年は「僕らはここに住んでいる」 と言う。 住んでる? 彼らも、ジョージと同じく空港で宙ぶらりん状態なのか? 果たして、そのとおりであった。 もう1ヶ月ちかく、ここに暮らしているとのこと。 親戚のいるカナダに行こうとして、なぜかモスクワまで来たのだけど、ビザがないのでそれがかなわず、イランに戻る気も全くなく、ここにとどまっているとのこと。 カナダの親戚が、弁護士をよこしてくれることになっているので、それを待っている、と。 あまり詳しくは話したくない様子であった。 そうですか、大変ですね、と言うしかない。 話題を変えて。 イランといえば、言わずもがなのイスラム国。そして、コーランはイスラム世界共通。 親善をはかろうと、「あのね、僕はアラビア語ちょっと勉強してて、コーランも少し言えるよ、聞いててな。」 と、唯一かろうじて覚えている部分を、そらんじてみた。 インドネシアの取材では、何度これに救われたことか。これで、ムスリムとの距離は、一気に縮まる・・・はずであった。 が、しかし。家族の反応が芳しくない。 というよりは、かなり冷ややかな・・・そしてちょっと悲しげな・・・あれれ? あなた方の聖典、クルアーンですよ、ご存じない? ひょっとして、何か、外した? 少女がボソリ。 「私たちは、クリスチャンです。」 さらに。 聞けば、実は彼らは圧倒的多数がイスラム教徒であるイランにおいて、宗教的な理由で大きな問題を抱えたために祖国を後にせざるをえなかったと言うのだ。つまり、彼らにとっては、イスラムはまさに仇のようなものだ。 外しも外したり、大外しである。先入観というのは恐ろしい。そりゃ、イランの中にも、クリスチャンはいるだろうて・・・ガザにだっているんだから。少女は、思い出したくないことを思い出したのか、かわいい顔を憂いに沈めてしまった。 さらに連鎖して話は飛び、「お父さんは、亡くなったの・・・」 とボソリ。 これを「気まずい空気」 と言わずして、なんと言おうか。何か言わねば。 えーと、イランと言えば、ペルシャ語だな。 ペルシャ語と言えば・・・ 「タシャコル!」 思わず出たこの言葉、ありがとう、の意である。 この状況で、「ありがとう」 とのたまうアホな日本人が、ここに一人。 大きな墓穴を掘ったかに思えたがしかし、人の反応というのは分からないもので、これが予想に反して、大当たりであった。 少年、「おおお?? こいつ、ペルシャ語知ってるのか??」 お母さんも、娘さんも、パーっと顔が明るくなる。 思いがけずに失地回復に成功したらしい。嬉しさのあまりか、彼らはペルシャ語でいろいろと話しかけてくるが、タシャコル以外は出てこないので、ひたすら繰り返す。まあとにかく、外国語は身を助く、ということで。 その後、なごやかな雰囲気を取り戻した私たちは、ジョージの話で盛りあがった。 実は彼は、つい最近までここにいたのだそうな。 3人ともそれぞれ言うことが違うのだけれど、彼らの情報によると、カイロに行って商売を始めたか、パレスチナに戻ったか、もしくは他のアラブの国に行ったか、らしい。いずれにせよ、彼が望んでいた欧米の国に渡ることは叶わなかったのだろうか。 「彼さ、ここで商売してたんたよね、オカシイよねー!!」 と、少女が、思い出すだけで笑ってしまうという風情で話す。まあ確かに、彼は愉快な男だった。さらに彼女、 「今は夏だから、彼の商売道具の寝袋も、熱い茶も、売れないよねー、カワイソー!!」 てな感じで噴き出してしまい、まったく屈託がない。 ムスメさんらしいと言えばムスメさんらしく、それに確かに、今はそんな商売は成り立たんでしょうが、傍目には、あなた方も十分、カワイソー、です。 そんなところへ、中国人の一団がやってくる。 そしておもむろに、彼らは家族に話しかけ、聞き取りを始める。 どうやら、「私たちにできることがあれば、何かしましょう」 ということのようだ。そして、家族がリクエストしたのは、彼らの写真を撮り、くだんの弁護士に送ってほしい、ということのようだ。 お安い御用、ということで、中国人の女性が、カメラを取り出す。 するとおばちゃん、「待って!」 と叫ぶ。 化粧直しでもするのか? そうではなく、彼女はドカドカと私の寝床である新聞紙の上にやってきた。子供たちも呼び、そして、申し合わせたように3人で肩を落としてうなだれたかと思うと、家族の表情は憂いを帯び、瞬く間にレ・ミゼラブルな一家と化した。 なるほど、窮状を訴える大事な写真、写りは大事だ。大荷物があったり、マットの上でくつろいでいたりしてはいけないし、屈託なく笑う娘がいてもいけない。そうして、中国人女性が写真を撮り終えるやいなや、家族は彼女を取り囲み、写真を見せろ、と厳しいチェックを始め、ダメ出しをする。 この写真とこの写真はイマイチだから、送るのはこれにして、と。 ところで、彼らはできれば親戚のいるカナダに行きたいのだが、イランを出れて、イスラム国でなければ、どこでもいい、とも言っていた。中国でもいいし、もちろん日本でもいい、と。それを聞き、無責任ながらも 「カナダがダメでも、日本に来れるといいねえ」 と言えればいいのだけれど、日本への難民申請者を待ち受ける困難を考えると、全くオススメできない。 つかの間とは言え、こうして関わった家族に、牛久の入管の収容所になんか入ってほしくないし、悪名高き入管職員の心無い対応によって、彼らに日本人嫌いにもなってほしくない。多くの、そのような例を見聞きした。 あえてそんなことは言わなかったけれど、もし、まかり間違って日本に来て困った時のために、あなた達のような外国人をサポートしてる知人を紹介するから、と自分の連絡先を教えた。 彼らの言う、「イランでの宗教的な問題」 が具体的には何なのかは、硬く口を閉ざして話してはくれないのでなんとも言えないけれど、10中8,9、いや、それ以上の確率で、おそらく日本では難民申請はまず却下されるだろう。 できれば自分の国には来てほしくない、と思わざるをえないのは、まったくもって切ないことだ。 少年、「一緒に写真撮ろうよ」 と私の横に座り、彼らのカメラ付きケータイで、パチリ、パチリ。 「あんたが次にモスクワに来た時にも、私たちはここにいるかもしれないから、探してみてよ」 とお母ちゃん。 もちろん、そんなことがないようにとは願うけれども、同時に、困ったことに、また会いたいな、などとも思ってしまうのだった。
by lusin
| 2006-07-13 01:21
| 袖触れ合うも~
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