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2006年 07月 11日
今、古巣の会社がつくった番組が放映している。アフガニスタンとパキスタンで活動する、医師の中村哲を中心としたペシャワル会というNGOの10回シリーズの番組だ。今日で6回目。
私が古巣にいたとき、911後、社長の英断(?)によって、1年間、日本に乳飲み子を残し(と言っても乳をやってたのは私ではない)、現地のペシャワル会に居候しつつ取材をした。そのときの映像が、流れていた。うーむ、遠くはるか昔の出来事のようだ。 こないだ、社長と飲んでたら、社長、「俺はよお、お前を1年もアフガンに放り込んじまって、ちょっと負い目があるんだよなあ。」 なんて言っていた。 とんでもない。はっきり言って、あんなに濃くて楽しくてしんどくてエキサイティングな日々は、なかなかない。本当に、いろいろな面で、とてつもない勉強をさせてもらたっと思っている。・・・てなことを、そのまま言ったら、「お? そおか? ん?」 なんて、ニンマリしてた。 ・・・こんなやりとりは、もう何度目かの気がするが、酔っ払うとお互い忘れてしまうらしく、笑える。 911の後。アメリカによるアフガン攻撃の可能性が日々現実味を増し、その後実際に空爆が始まり、そもそもは医療団体であるペシャワル会はアフガニスタンへの緊急食糧援助を始めた。 猫の手も借りたいほどにてんやわんやの現地サイドは、私にスタッフとして活動することを期待しつつ、一方の会社からは当然、現地の状況とペシャワル会の活動の撮影をし、機会を見て、ともにカブール入りするよう要求されていた。(カブール陥落前の当時はまだ、なかなかジャーナリストが米軍への従軍以外ではアフガンに入れる状況ではなかった。結局、米軍に従軍していたメディアが北ルートで2001年の11月にカブールへと先に入ることになり、くやしい思いをした。) まあとにかく、ペシャワル会のワーカーとしての活動と、取材者としての活動のムチャな二足のわらじをはきながら、何とかその両方をこなしつつ、せっせと現地から東京に映像を送り続けたのだった。 今思えば、そのどちらの活動も、まったく得がたい経験だった。 1年の間に大量の映像を撮影して、それらは数度の番組で使われているのだけど、今回はさらに今まで日の目を見なかった映像もあって、感慨深い。当時の、頭がくらくらするような、強烈な光と影の世界での日々が思い出される。 中村先生は、一見、飄々とした、とぼけたおっさん、であった。うだつのあがらないおっさん風、とも言える。 けれどやがて、とんでもない、こりゃとてつもない人だ、ということが徐々に分かってきた。ギョロリと目をむき、とても堅気の人間とは思えない形相で大きな決断をする時の先生は、本当に鬼気迫るものがあった。屈強のアフガン人たちも、そんな先生の前では、借りてきた猫であった。まあそうかと思うと、先生はすぐにまた 、「とぼけたおっさん」 に戻ったりしていたけれど。 今日の6回目は、911からアフガン空爆へと続く時期のペシャワル会の様子であった。911以前に、ペシャワル会が旱魃下のアフガンで井戸を掘り始める頃から、中村先生は凄みを増してくるが、911後の「対テロ戦争」下でもまったくゆらぐことなく物事の本質を見続ける中村先生は、さらに輪をかけて、であった。 とてもえらそうなことを言えば、人が人を助ける、人と人がともに生きていく、ということはどういうことか、その活動から、私は多くを学ばされたと思う。 ずいぶんと勇ましい物言いが幅を利かせている今の日本、中村先生のメッセージに、一人でも多くの人が耳を傾けてほしいと思います。再放送もあるようなので、ぜひご覧になってください。 テレビは好かんという人は、このシリーズの本も出ているようなので、そちらを読んでみてほしいと思います。 その本の中から、中村先生のメッセージを抜粋。 人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は「カネさえあれば幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信からは自由である。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。 (中略) だまされてはいけない。「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。それを次世代に期待する。 これが、22年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。 ・・・というわけで、明日、3ヶ月ぶりに日本を発ちます。いってきます。
by lusin
| 2006-07-11 01:31
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