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2005年 12月 30日
先月、イスラエルの軍法廷である判決が出された。罪に問われていたのは、あるイスラエル軍の指揮官。彼は、昨年10月、パレスチナのガザ地区に住む少女を殺害したかどで罪に問われていた。
その殺害の仕方は尋常ではなかった。 負傷し無抵抗の少女に対して、至近距離から、15発の銃弾を撃ち込んだのだ。その「異常な」 出来事は、イスラエル社会でも物議をかもしていた。 しかし、先月、その指揮官に対して出された判決は、無罪であった。 38年間にも及ぶ軍事占領が続いたパレスチナのガザ地区から、この夏、ユダヤ人入植地とイスラエル軍が撤退した。最近5年間のインティファーダ(武装闘争)で、イスラエル軍によって、パレスチナの7000軒以上の家、7700Haの農地が破壊された。死者は4000人にのぼり、そして、その中には800人近い子供も含まれている。彼女は、そのような多くの子どもたちの中の、一人にすぎない。 イスラエル軍により命を奪われたパレスチナの子供たちの多くは、「通りで遊んでいた子」「通学途中の子」「家の屋上にいた子」など、明らかにイスラエル軍への脅威ではなかった。そして、幸い一命を取り留めても、多くの子供の体に障害が残された。しかし、ごくわずかな例外を除き、そのような子供への攻撃に対して、イスラエル兵の責任が問われたことはない。そしてまた先月、そのような子どもを殺した兵士の行動が、イスラエルの法廷によって、「適切なものであった」とお墨付きを得たのだ。 ガザ北部の静かな町に住む11歳の少女Sも、他の多くの子どもたちのように、イスラエル兵によって狙撃された一人だ。 彼女は、占領が続いていた昨年10月、町に侵攻していたイスラエル軍によって頭部を銃撃された。自宅の窓から外を見ていた時のことだった。家族には、撃たれた理由がまるでわからない。奇跡的に一命はとりとめたものの、脳を損傷し、知能と身体に障害が残った。 かつてはずば抜けて成績優秀だった彼女の知能は、幼児なみになってしまった。リハビリを続けるが、アルファベットを書くのもままならない。しかし、将来は先生になりたい、早く学校に戻りたい、と片言のことばで、屈託なく笑っていた。 「イスラエル兵は、子供も兵士も、区別しません。娘を見てください。彼女がカラシニコフ銃を持っていたというんですか? 彼女は、自分の家にいた、子供に過ぎないんですよ。」 娘を傷つけられた母は、イスラエル軍への怒りを露わにした。そして、母親は、会ったこともないイスラエル兵に対して、問うていた。 「あなた達は、娘をこのように撃たれて、私がどのように感じているか、考えられますか? あなた達の子どもが大切で、私たちの子ども大切ではない、ということなんですか? 私たちにとっても、子どもはとても大切なんですよ・・・」 銃撃から2ヶ月。 かつての状態には程遠いが、Sは学校に復学することになった。期待と不安が入り混じりながら、不自由な足で学校へ向かうS。かつての通学路も、今の彼女にとっては長旅だ。何度か途中で休憩をはさみながら、学校へ向かう。 学校では、Sの心配をよそに、教師、友達、みなが彼女を暖かく迎えた。代わる代わる彼女を抱きしめる教師たち。友達たちは、変わり果てた彼女の姿に驚き、戸惑いつつも、Sとの再会によろこび、涙を流していた。皆が、彼女のサポートを申し出る。このあたたかさが、占領下のガザの社会を支えてきた。 しかし、友達が撃たれたという事実は、小さな子供たちに深い衝撃を与えている。 「昔から、ユダヤ人は嫌いだったけど、Sが撃たれて、あいつらへの憎しみは強くなった。」 「いつか、大きくなったら、イスラエルとの戦いに参加して、あいつらを殺すかもしれない。」 Sに向けるやさしさの裏には、イスラエルへの憎しみが植えつけられていた。ガザをとりまく現実は、11歳の少女たちに、このようなことを言わせてしまうのだ。 Sが撃たれてから、今年の10月で1年が経った。その前月にイスラエル軍はガザから撤退したが、それによってSの身体が元通りになるということでもない。Sは中学校に進学していた。教室には、さかんに手を挙げ、発言する彼女の姿がある。かつての状態には及ぶべくもないけれど、驚くほどの回復を見せている。昔の記憶も、かなり戻ってきたようだ。会話も、スムースではないが何とか交わすことができる。そして、Sはユダヤ人への気持ちを、つたない言葉で、ゆっくりと語った。 「ユダヤ人とは、はなしたくない。私をうったから。あいつらと仲直りするのは、ムリだよ。私ののうみそをとったんだもの。・・・私を障害者にしたの。ゆるせると思う?」 「ユダヤ人は、わたしたちの敵だし、これからも、敵だよ。」 ガザの土地からは、イスラエルはひとまず、撤退した。けれど、傷つけられた人たちの心には、憎しみは残り続ける。 ********** 2005年の消滅まであと1日 ©マエダ
by lusin
| 2005-12-30 23:27
| パレスチナ/イスラエル
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