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2005年 09月 13日
入植地からのイスラエル軍の撤退が完了した。 もう昨夜から町は大騒ぎ。 予定では、まずは治安部隊や地雷などの処理班が入り、数日してから一般に開放する、という話だったのだけど、もう明け方から人々が入植地の跡地になだれ込み、「廃品回収」 に精を出している。 昨夜、入植地入りを待っていた数百人の軍や警察の姿はあまり見えない。 ある警官は、「みんな嬉しいんだよ。 それに、あれだけの数の人間を、止められない」 と、入植地に殺到する人々をぼーっと見ていた。・・・おい!! それは職務放棄では?? しきりに政府が言っていた、「地雷などの危険物がある可能性があるので、一般の立ち入りは禁止する」 計画はどうなったのだろう?? どっと押し寄せたパレスチナ人たちは、材木から水道管から窓枠まで、ありとあらゆるものを廃墟となった入植地から回収していた。
というわけで、入植地撤退劇は、これにてひと段落したわけだけれども、ガザはこれから、どうなるのだろうか。 正直、あまり明るいとは言えない。 それは、よく言われるように、依然としてガザの周囲がイスラエルにコントロールされ続け、「巨大な監獄」であり続けるから、ということだけが理由ではない。 ガザのパレスチナ社会がまとまっていけるのか、建設的な行動をとっていけるのか、と考えると、これから大変だなあ、と思わざるをえないからだ。 ガザのパレスチナ人たちとの会話の中で、これからガザをどのようにしていきたいのか、ということを聞くことがある。 が、これは致し方ないのかもしれないけれど、彼らのほとんどは、未来へのビジョンを持っているわけではない。 「どうにか、良くなるよ。」 「まだ、大きな監獄のままだからな。」 「どうせ、また数年してドンパチが始まるんだからな。」 いつも、そういうい答えを聞いていて、しっくりこないものがあった。 「何かをしなければいけない」 のは常にイスラエルの側であり、我々に 「何かをしてくれるべき」 なのは諸外国である、という態度。これは、タクシードライバーだろうが、学生だろうが、「知識人」であろうが、大して変わりはない気がする。 よく、親しい友人には、「そうじゃなくて、イスラエル批判はもう分かったから、君や、それにパレスチナ人がこの社会をどういう風にしていきたいのか、を聞きたいんだけど。10の批判や言い訳をするよりも、1の前向きな行動をした方がよっぽどいいと思うけれど?」 てな生意気なことを言ったりしていたのだけれど、やはり、ほとんどの人には、将来を描く、ということができないのだ。 これは、パレスチナの歴史を考えると、致し方ないとも言える。1920年のイギリス統治から始まって、エジプトの支配下、イスラエルの軍事占領、その後の自治政府の独裁体制、再度の軍事占領・・・と経験してきた人々は、常に何かを押し付けられる側であったし、「出る杭は打たれる」 という教訓を学んできた。そもそも来週の食いぶちも定かでない人たちが、「これからのガザ」 などというものについてイメージできるはずはない。 「俺たちに何ができるって言うんだ? この状況下で。」 ・・・できることは、いくらでもある。 するべきことは、いくらでもある。 何よりもまず、汚職まみれの自治政府をどうにかしなきゃいけないとは思わないの? また今度、日本が何千万ドルだかをパレスチナに援助するんだけど、またそこから大金がお偉いさんのポケットに入るの? それに、無意味にはびこっている暴力もどうにかしたほうがいいんじゃないの? 何のためにあるのかさっぱり分からないNGOがいっぱいあるけれど、もうちょっと意味のある活動をしていったら? それに何より、子供のしつけや教育をもっと真剣に考えた方がいいと思うけれど? そんな正論を言うと、やはり返ってくるのは、 「悪いのはイスラエルだ、占領だ。」 と。 「そんなことは分かっている。 今さらそんなことは言わんでいい。 聞いてるのは、あんたら自身がガザを良い場所にしていくために、撤退の後に何をする意思があるのか、ということ。」 すると、「西岸を解放するまで、断固抵抗を続ける」 なんて返事が返ってきて、がくっと力が抜けたりする。 なかなか話が通じない。 自分たちが「イスラエルに対する抵抗」 以外の何かをなす主体である、という意識を持ったことがあまりないのかもしれない。 これが、長年の占領がもたらした、もっとも大きな被害なのではないだろうか。 物的被害なら作り直せばいいけれど、染み付いてしまったこのような態度は、仮に占領が解かれたとしても、容易には変えることはできないのではないか。 もう一点のガザの大きな課題は、「武力」への態度に関すること。 今、大統領のアブ・マーゼンが、各組織に武装解除を要求しているが、それが成功する可能性は限りなくゼロに近い。たしかに、各武装勢力が言うように、「我々が武装解除をしたら、またイスラエルが侵攻してきた時、自治政府の軍とやらは我々を守れるのか?」 との問いは、もっともだ。 イスラエルが公言しているように、いつ何時またガザへの侵攻があるやもしれない今の状況下では、各派が武器を手放さないのはごくごく当然の選択だろう。 が、問題なのは、この武装闘争の論理が、ガザのパレスチナ社会に、強く 「武力への信仰」 という影を落としていること。これはアラブの民族性、中東の地域性にも大きく根ざしているのだろうけれど、ここでは特に警察の無力とあいまって 「物事は武力に支えられて動いていく」 という考えが常識になっている。 そしてその影響は、子供にもっとも顕著に現れている。 子供は大人を見て育つのだから、当然だろう。 自爆攻撃をして死ぬことは英雄的行為だし、銃を持って戦うことは当然のこと。 力こそが物事を変えられる、と。 子供に迷彩服を着せ、カラシニコフ銃を持たせて満足気に記念写真を撮るような父親、家族間の抗争で銃を持ち闊歩する人々の後をやんやと追いかけていく子供たちを見ると、いたたまれなくなる。 この闘争下で、人々はあまりにも武力への信奉を確固としたものにしてしまった。 西岸で行われているような、「平和的な抵抗」 というものはほとんど認知されていない。 この点では、ガザ入植地撤退は、その信奉をさらに固めるという悪い方向に作用したと思う。 「我々の武装闘争がユダヤ人を追い出したのだ。」「ほら見ろ、武力だけが物事を変えることができるのだ。」 と・・・。オスロ合意後の無意味な交渉と、この5年間の武装闘争、どちらが得るものがあったか? というせりふもよく耳にする。 友人との会話で、何とかかんとか話を詰めて、こちらの言いたいことを理解してもらうと、多くは、これからのガザについては 「イスラムが鍵を握る」 というところに行き着く。 「我々が 正しいムスリムになった時、自ずと道は開ける」・・・ そんな雲をつかむような・・・と正直思うし、話し手によっては、現実逃避の手段としてそのようなことを言っているとさえ思えることもある。それに、 私には、イスラムが強いといわれるガザとはいえ、ここでもイスラムはすでに人々をまとめあげるほどの力を持っているようには思えない。「敵」 が身近から消えた今後は、おそらくさらにイスラムの求心力は弱まっていくのではないだろうか。 しかし、ここで 「民主主義」 なるものが根付くのは、「よきイスラム」 が復興する以上に困難なようにも思う。 第一、歴史が違う。 ここの人々はもう十数世紀、ムスリムで通しているのだし、民主主義なるものがガザで取りざたされるようになったのは、自治政府が出来てからの、わずか10年ほどだろう。 アラブで生まれたイスラムは、やはりアラブに必要なものをもたらしたはずだ。 よりどころとして、アラブのパレスチナ人がイスラムの教えに戻っていくのは自然なことのような気もするけれど、衛星放送とネットで世界中の情報が「監獄」のガザにすら入ってくる現在、イスラムが一体どこまで有効なのかは、あまりに問いが大きすぎて、正直よく分からない。 苦しみぬいてきたガザを、日本の感覚で批判するべきではないとは思う。 しかし、このような社会が、これからどのように回復していけるのかを、私は見てみたい。 ガザの人々は、どのような選択をするのか ・・・ これは、これから再度イスラエルの侵攻が起きず、ガザと外の世界とが、イスラエルのコントロールを経ずに開かれたら、の話だけれど・・・ これからは、ガザの人たちは、自分たちの弱い部分と向き合い、それを受け入れ、時に妥協しつつ、何かを作り上げていくという、おそらくは彼らのとても苦手とする作業と向き合っていかなくてはいけない。 壊れてしまった、かつての社会的なつながりを回復していく作業。 イスラムと民主主義に、どう折り合いをつけていくのか、という作業。 力への信奉をどう変えていくのかという作業。 もしイスラエルがガザの周囲を開放したとしても、パレスチナ社会がそれらの仕事と向き合っていけないのなら・・・ひょっとしたら、状況は占領下の時代よりも、ある意味でさらに悪いものになるかもしれない。 あまりに特殊な生い立ちもあいまって、ここガザで未来を描いていくというのは、ガザの人々にとって、本当に大きな挑戦なのだと思う。
by lusin
| 2005-09-13 05:48
| パレスチナ/イスラエル
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