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2005年 08月 21日
イスラエル入植地の撤去作業が続いている様子を、食堂のテレビでちらりと目にする。 その入植地群とここは、わずか数キロほどしか離れていない。そばにいけば、ユダヤ人入植者たちの白壁と赤屋根の家々も見えるのだが、パレスチナ人とユダヤ人入植者の間には、全く交流はない。 パレスチナ人がこんにちはーなどと入植地に歩み寄っていけば、監視塔から狙撃されて、帰らぬ人となること確実。 テレビや新聞で見る入植地が、まるで遠い世界のことのように感じる。
ところで、ここのパレスチナ人たちは撤退をどう受け止めているのか。 話をする機会がある人には、やはりそのことを聞くことが多い。その反応にはそれなりの多様性があって、一からげにすることはできないのだけれど、まず、基本的には撤退を歓迎している。 そりゃそうだ、外国の兵士が自分たちの土地にいるよりは、いないほうが良い。 隣の町に行くのに数時間待たされるようなチェックポイントがあるよりは、ないほうが良い。 入植者や兵士からの無差別銃撃は、あるよりはないほうが良い。 連日、各派の武装勢力が 「我こそはユダヤ人を追い払った立役者」 と大騒ぎして町を闊歩したり、人々が入植地の際までパレードしたりしている。 でも、少し事情を知っている人は、覚めた目で、撤退の映像や、パレスチナ側の騒ぎを眺めている。 「なんだって、あんなに騒いでいるんだ? そもそも、まだ撤退しきってないじゃないか。 騒ぐならせめて、撤退を完全に見届けてからにしてくれないか。」 「入植地を撤去したって、ガザは監獄のままなんだぞ、何を喜べっていうんだ?」 こういう反応をするのは、どちらかというと若い人に多い気がする。 大人は、現実に適応していく術を学んでいるということなのかなあ、「インシャッラー、状況が少しずつ良くなっていくことを願っているよ」 と、大騒ぎするでなく、シニカルになるでなく、ささやかな希望的観測を話す、という感じの人も多かった。 その一方で、ちょっと戸惑うのが、これからのガザに、過度にバラ色の未来を描いている人たち。 「入植地の跡地には、外国企業がどっと押し寄せてきて、失業は解消するんだ。 世界銀行とやらがたっぷり金を出してくれるらしいし、湾岸諸国も、りっぱな住宅群を跡地に作ることになっている。 西岸(ヨルダン川西岸地区)の家族にも、これからは好きな時に会いに行けるんだ・・・。」 でも、現実はというと、これからも依然として、ガザの周囲、陸海空、外の世界への出入りはイスラエル側がコントロールし続けるのだ。 世銀はともかく、どうして企業がそんなところに投資するというのだろう? 3年後にはイスラエル国内からパレスチナ労働者を完全に締め出すと言っているのに、どうして簡単に(イスラエルを通って) 西岸と行き来できるようになるというのか? 今までコテンパンにやられっぱなしであったのだから、わずか一歩の前進でも、喜べるときに喜び、騒げるときには騒ぐ、というのは自然なことだと思う。 でも、その一歩の前進は、ひょっとしたら、十歩の後退のための最後の一歩なのかもしれない。 夢物語を思い描いているのなら、それはそう遠くない時に、その夢から覚める時がくるのだ。 話は逸れるが、これまた戸惑ってしまうのは、そのような夢物語を描く人でも、 「・・・で、その後に、また何年かしたら、インティファーダ(武装闘争)が始まって、全部パーになるんだよ」 と笑ったりすること。 「ここパレスチナは「戦争の地」であって、永遠に戦火は絶えない。アラーによってそう決められているのだから、この運命からは逃げられない。」 よく耳にするフレーズだ。 そのあたりの世界観は、やっぱり非ムスリムの自分にはちょいと理解しきれない。 コーランに書かれているとのことなので、その世界観をとやかく言うつもりはない。 でも、それがこの状況下では、 「だから和平のことなんか考えたって意味がない」 「あいつらとは戦い続ける運命にあるんだ」 という態度につながりがちなのではないかと、正直、ちょっとひっかかる。 とりとめなく書いたけれど、このように、撤退の受け止め方にも当然ながら幅があって、一くくりにはできない。 でも、ガザの人たちがぬか喜びしようが、シニカルになろうが、空威張りしようが、「全ての状況はイスラエルが決める」 という冷酷な現実があるのだとしたら、やはり喜べる時には喜んだほうがトク、あとはどうなるのか見てみましょ、とした方が賢いのかなあ。 覚めた人に阿呆呼ばわりされても、武装組織のパレードに混じり、束の間の勝利気分に酔いしれる方が幸せなのかなあ、それがこの状況下でパレスチナ人として生きていく彼らの作法だったりもするのかなあ、などと思ったりもする今日この頃。
by lusin
| 2005-08-21 03:02
| パレスチナ/イスラエル
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