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2005年 08月 14日
ガザの入植地撤退が直前に迫っている。
これが、大掛かりなイスラエルの目くらまし、茶番だと思いつつも、やはり、多くのパレスチナ人が言うように、「ないよりはマシ」 ではある。 けれど、まあその程度のものだ。 ガザのパレスチナ人の生活がこの撤退によって良くなるとも思えない。撤退がらみのイスラエル側の大騒ぎには、ちょっと引いてしまう。 実際、ガザのパレスチナ人は、いたって冷めたものだ。まあ、撤退が始まれば、どこかの組織が主導で祝賀騒ぎをするのだろうけれど。 などと言いつつ、入植地に行って何日か取材する。「自分たちの土地」 を維持し続ける権利を、何の迷いもなく主張し続けるユダヤ人入植者たち、「人間の鎖」 で入植地をつなぐ大勢の老若男女の入植者たちに、おなかいっぱい。 私はそもそも、「人間の鎖」という行為自体がなぜかちょっと苦手なのだけれど、それを入植者にやられると、もう、一気に数万キロほど引いてしまった。 ある入植地で、自主的に撤退をする準備をしている家族に話を聞いた。 その家族が、入植地での生活の思い出を、いろいろと話し始めた。 一番の思い出は、この家で子供が生まれたこと。 家から見える、海に沈む夕日がきれいだということ。 そして、家の周りに木を植えて、大切に育て、素敵な庭をつくったこと。 彼らは、その庭の木々も、ちゃんと引越し先に連れて行くために、大事そうにトラックに積み込んでいた。 政治的な背景はとりあえず (置いてはおけないけれど) 置いておくとすれば、自分の住んだ町、暮らしてきた家への愛着や思い入れ自体は、もちろん分かる。 そこを後にしなくてはいけない寂しさと悔しさも、理解できる。 でも、やはりそこで、せめて問いかけたいのは、 「同じように、イスラエルによって家を奪われているパレスチナの人々のことを、少しでも考えたことがありますか?」 ということ。 このガザ撤退から、当事者である入植者にとって(仮にあるとして) 少しでも有意義な点を見つけられるとしたら、そのようなことを考えるきっかけを提供することなのではないかな、とも思う。 けれど、私が話した限りでは、残念ながら、そんなことを考える余裕のある人は一人としていなかった。 当然と言えば当然で、それをできる人は、そもそもパレスチナ自治区の真っ只中の入植地などに移住したりしないのだろう。 そして、そのような大人に育てられた子供たちが、大人以上に純粋に彼らの理屈を信じ込むのは、とても自然なことだ。 ここに集まっているようなユダヤ人が、イスラエル全体の中でどの程度の割合を占めているのかは私にはよく分からないけれども、彼らと話せば話すほど、こりゃそもそも 「対話」 が成り立ずはずがない、と絶望的な気持ちにならざるをえなかった。 対話のための、最低限の前提がまるっきりかみ合わないのだ。 「なぜ、私たちが、 『私たちの土地』 から去らねばいけないのですか? 出て行かなくてはいけないのは、アラブですよ。」 何の迷いもなく断言されるのを何度聞かされたことか。 余談になるけれど、ある入植者は、話の中で 「イスラエル軍の慎重さ」 について熱心に語った。 「イスラエル軍は、敵を撃つことに関しては世界でもっとも慎重な軍隊です。」 「 ・・・ でも、多くの子供がイスラエル軍に撃たれてますよ? 」 「それは、テロリストたちが、自分の盾として、周りに子供を配置したからです。」 は?・・・パレスチナ側ではもちろん聞くことのできない発想だ。 ここにはそのように伝えられているのか? 「しかし、家の窓から外を見ていただけの子供、サッカーをしていただけの子供も狙撃されていますよ?」 「イスラエル軍はそんなことはしませんよ。 私は兵役でガザにいたから、よく知っています。」 「でも、私はその子供たちの家族や、目撃者から直接話を聞きました。」 「あなたは、その子供が撃たれたのを自分の目で直接見たんですか? 自分ではその瞬間を見ていないんですね? それならば、あなたはだまされているんです。 彼らは、いつもウソをつきますから。 常にです。」 直接見てないんですね、と言われたら、困ってしまう。 それこそ、「あなたは 「テロリスト」 が子供を盾にしていたのを自分の目で見たんですか?」 と聞き返したかったが、あまり意味のあることとも思えなかったので、やめた。 ふと思い出したのが、子供のころ、痛いところを突っ込まれた時に皆が使っていた、苦し紛れの返し技。 「俺やってないもんねー、お前見たのかー、いつやったか言えんのかー? 何月何日何時何分何秒? 地球が何回まわった時??」 ところで、CNNなど見ると、イスラエルの宣伝に乗ってか乗らされてか、このガザ撤退自体が一大偉業のような扱いで流れている。 ガザに結集する撤退反対のユダヤ人たち。 大きな混乱が予想される。 英断を下したシャロンは、イスラエルは、どのようにこの難局を乗り切るのか・・・てな調子で。で、入植地側のレポートの後に流されたパレスチナ側の映像が、撤退を祝うためのパレスチナの旗を作っている工場と、そしてその後には、ハマスの軍事トレーニングの映像。 何だかなあ。 BBCも、似たり寄ったりであった。 入植地を去ることを嘆き悲しむ入植者たちを映した後で、ハマスが武装闘争継続を宣言した、と最後の方で触れていた。 「それならば、何のために私たちは入植地を去るのか」 という入植者の疑問とともに。 ・・・答えは簡単です、そこはそもそも、「あなたたちの土地」 などではないからです。 もちろん、撤退中にハマスが攻撃をしかけるのか、撤退後にガザのパレスチナ側の武装闘争はどうなるのか、という点はメディアとしては大きな関心ごとであるし、伝えることに意味はあるのだろうけれど、それと同様、今伝えるべきは、イスラエルが ガザから 「歴史的撤退」 をしようとしている今このときも、西岸地区やエルサレムでは日々パレスチナの土地が不法に奪われ続けていて、壁が作られ続けている という事実ではないのかなあ。 ガザは、単なるトカゲの尻尾であり、その他のことを覆い隠す目くらまし。 とにかく、もう規定路線であるこのガザからの撤退はさくっと済ませて、西岸やエルサレムで行われていることをはじめ、もっと本質的なことに注意を向けるべきだ。 とりあえずは、「平和の人」 シャロンによる 「ミッション・インポシブル」 が、とっとと、つつがなく遂行されることを願うのみ。
by lusin
| 2005-08-14 22:39
| パレスチナ/イスラエル
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