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2005年 05月 13日
先日、ひょんなことから招かれた家で、これを見てみろ、と携帯電話にダウンロードされた映像を見せられた。
小さな携帯のスクリーンの中で、白人の若い女性が泣いている。 彼女の頭には、画面の外から手が伸び、その手には何か黒いものが握られている。 画像が悪く、なんだろう、と目を凝らしたとき、彼女の頭から真っ赤なものが飛び散り、同時に彼女の体から力が抜けた。 首がだらりと後方に垂れた。10秒にも満たない映像だった。 一寸の後、何の映像だか理解した。 イラクでの、人質殺害の映像である。 初めて見るこのような映像に、しばし固まってしまう。 いくつもの死を見てきたけれど、このような死の瞬間は、目にしたことがなかった。 それまで生きていた人間が、ある人間の意思による暴力で、一瞬で死体となる。ゆっくりと、全身の血の気が引いていくのが分かる。 香田さん殺害の映像を見た、という何人かに話を聞いたことがある。 一様に、見たことを後悔していた。 絶対に見ないほうがいい、と忠告してくれた。 しかし、このような不意打ちで、自分も見せられてしまった。 後悔、という感情ではないけれど、ひたすら後味の悪さが残った。 しかし、戦争や占領、紛争というのは、実はこのような死の、気の遠くなるような積み重ねなのだ、と当たり前のことを、あらためて考える。 何百、何千、という。 そして、「停戦中」ということになっている、ここパレスチナでも、そのような死が、今もそう遠くない日常にある。 つい先月も、ここラファハで、3人の少年がイスラエル兵によって殺されている。彼らは、サッカーをしていた。 自分のすぐそばでパレスチナ人が撃たれたことも、何度かあった。 以前、子供をイスラエル兵に殺されたという母親と話をしたことがある。 しばらく話した後、「イスラエルの子供が、パレスチナの自爆テロで命を落とす時、どう感じるか」 と聞いた。 無茶な質問だと百も承知の上で、聞いた。 すると、その母親は逆に聞いてきた。「まずは、自分の子供が殺されるというところから想像してみなさい」と。 「どう感じますか?」 と。 黙っているしかなかった。 その後、「想像できません」としか言えなかった。 依然として、死は、自分からは、遠い。 というよりは、自分に近づけられない、と言った方が正しいかもしれない。 そのような理不尽な死が、たとえば自分の子供に起こるということを想像しようとすると、心のどこかで、必ずストッパーがかかるのである。怖くて、怖くて、想像しきることができない。 死に、理不尽な死と意味のある死があるのかどうかは分からないけれど、このような場所にいて、悲しいかな、依然、「死」は、自分からは遠いのだった。 いわんや、日本にいて、遠い世界の悲しみに想いを馳せるということは、どれほど難しいことだろうか。
by lusin
| 2005-05-13 23:33
| パレスチナ/イスラエル
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