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2005年 05月 02日
去年一緒に動いていたイスラム大学の学生のKと会い、今後の取材の話などをする。 彼は、英語が非常に達者、外国人との仕事の仕方も心得ていて、またとても礼儀正しい男なのだが、ひとつだけ難点が・・・。 イスラム話を始めると、止まらず、周りが見えなくなってしまうのだ。
語弊があるが、私はイスラムという宗教それ自体には、興味はない。 正しくは、ここ1,2年で興味がなくなった。 特定の信仰を持たない自分にとって、宗教に意味を見出せるとしたら、ある宗教が実際に人の精神を救った場合のその事実に、あるいは、人々がその社会で何を大切にしているのか、という、異文化に生きる「人」を知るための「とっかかりとして」のみ、関心がある。 つまり、「何が正しく」「何が正しくない」「何をすべき」で「何をすべからず」という、教義それ自体には、さしたる興味はない。 津波被災地のインドネシア・アチェでは、被災者の心の救済に、イスラムが非常に大きな役割を果たしていた。 打算抜きに、人々は被災者に慰めの声をかけ続け、家を失った者を招き入れ、過酷な遺体回収作業を、ひたすら続けていた。 彼らを支えていたのは、まさにイスラムであった。その姿は感動的ですらあった。 が、彼らがよき行動をしているのは、ムスリムだからではなく、彼らがそもそもよき人々であるから、なのではないかなあ、とも感じた。 よく、「イスラムが分かれば中東の紛争が、テロが分かる」という類の本があるが、それは、うそっぱち、だと思う。 どのような教義でも、結局はそれを参照する者の意識や願望に見合う姿にしか、その教義は表れてこないのではないかと思う。「イスラム」が分かっても、そこに生きる人間を知らなければ、一体何が分かるだろうか。どうして、同じ宗教の名のもとに、方や無実の人々の命を奪い、方や身を粉にし他者を救おうという行動が表れるのか。どちらが本当の姿なのか。 ・・・結局は、宗教の問題などではなく、人間の問題、なのだと思うようになった。そう思ったときに、宗教に対する関心がさーっと引いていってしまった。もちろん、宗教は、ある人間を形作る大切な一要素ではあるけれど、「宗教を通して」人間を理解しようとすることは、逆に目を曇らせてしまう、と感じる。 それは、「3つの宗教の聖地が集まり」、宗教紛争と誤解されがちなパレスチナ問題を見るときには、特にそうであると思う。 ・・・寄り道が長くなってしまったが、要は、この地で時に敬虔なムスリムに熱心にイスラム談義を聞かされるのは、正直、実に苦痛なのである。 「ロジカルに考えてみろ、誰が人間を作ったと思う、アラーしかいないだろう」と言われても、返す言葉はないのだ。あなたがそう信じるのなら、きっとそうなのでしょう、私はその信仰を尊重します、しかし私はそのようには信じていません、とでも言おうか。 「どうしてムスリムにならないのか?」と迫られても、困ってしまうのだ。まあ、さすがに教育のあるKは、外国人を入信させようなどということは、「外国人との付き合いの作法」に反する、ということを承知しているようなので、助かるが。 私は、大好きなムスリムの友人が大勢いるし、彼らの信仰を尊重している。 そして私が彼らを好きなのは、もちろん、彼らがムスリムだからなのではない。 単に、彼ら自身が好きなのだ。 Kと別れた後、ガザ南端の町、ラファハへ行く予定だったのだが、たまたま乗ったタクシーの運ちゃんと話しているうちに、「うちに来い、茶を飲んでいけ」と誘われる。少々時間があったので、誘いにのる。 この気安さと、そして親切さは、パレスチナの人たちの、本当に素敵なところだといつも思う。 日本とは文化的に非常に遠いアラブにいるからこそ、頭にくること、不愉快なこと、不可解なこと、多々あるけれども、この点だけで、全て帳消しにしてやろうという気になる。 特に、一定年齢以上のおっちゃん達の醸し出す、えも言われぬ味わいは、最高。 その後、ラファハへ移動。 ラファハは、以前滞在していた時には四六時中銃声が街中に響いていたけれども(そのほとんどがイスラエル兵の無差別射撃)、今は、曲がりなりにも停戦中ということで、比較的静か。 ここは、「夜、銃撃音が聞こえないと、不安で眠れない」と冗談とも取れない言葉を聞かされる町であったのだ。
by lusin
| 2005-05-02 17:51
| パレスチナ/イスラエル
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