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2005年 05月 01日
エルサレムでは、少々のんびりし過ぎた。今日から、ガザへ。
エルサレムからガザへ向かう道中、タクシーの運ちゃんと駄話を。 アラブ人と初対面で会話を始めると、かなりの初期に「結婚しているか」 と聞かれる。 その後は、「子供はいるか。何人か。男か女か」と必ず続く。 何、たった二人か? 俺は何人だと思う? いいから当ててみろ。 3人だって? 馬鹿言うな、7人だ、10人だ、と。 場合によって、その子沢山話が 「だからアラブはだめなんだよ」と自虐気味に聞こえる場合と、「な、アラブはすげえだろ」と誇っているように聞こえる場合がある。が、この運ちゃんはそのどちらとも取れない笑みを浮かべていた。 彼は6人の子供がいるが、その全員が娘とのこと。 ぼそりと、「一人でいいから息子がほしいなあ」と一人ごちていた。 この運ちゃんと話していてあらためて思ったのだが、パレスチナ/イスラエルの様々な問題は、多くが非常に複雑で、なかなか分かりにくい。 「パレスチナ人」という表現ひとつとってみても、一筋縄ではいかない。 たとえば、この運ちゃん。「パレスチナ人」である。が、いわゆる「パレスチナ自治区」には住んでいない。(イスラエルが自国領と主張する)エルサレムに住んでいて、(イスラエルの)行政上は、イスラエルという国に住み、イスラエルから身分証明書を発行された「イスラエル国民」ということになる。 だが、パレスチナ人ということで、イスラエルでの兵役は免除(排除?)されている。 さらに、運ちゃんはイスラエルのパスポートは持たない。 それを取るには「私はイスラエル国民になる」と文書で認めなくてはならないらしく、運ちゃんはそれを嫌い、隣国のヨルダン・パスポートを所持している。つまりこの運ちゃん、パレスチナ人にも、もちろんイスラエル人にもなりきれない、宙ぶらりんの存在。彼をそのような状況に置いているそれぞれの事柄の裏には、当然ながらイスラエルの思惑が隠れているが、この状況を理解するのはなかなかやっかいで、全てを詳しく書く気にもならない。 要は、イスラエルの無茶な占領、統治によって、パレスチナ人の法的・社会的な立場は、複雑にいじくられているということ。国家という概念の境界線上に置かれたこのパレスチナ人の状況を見るにつけ、人間はつくづく「線を引き」「分類して」「区別」せずにはおられない存在なのかなあ、と思う。 昼過ぎに宿を出て、タクシーでガザの入り口の「エレツ・クロッシング」へ。今、ガザ地区は国連職員や一部のNGO関係者、そしてイスラエルからのプレスカードを持ったジャーナリストしか入ることができない。この日、日本の某NGOもガザ入りしようとしていて、チェックポイントで知人と出くわす。 6人グループのうちの1人になかなか許可が出ず、もう4時間も待たされているとのこと。 許可の出たそのNGOの4人と共に、チェックポイントを超えて、ガザに入る。イスラエル軍によってコントロールされている、この「エレツ・クロッシング」、わずか4ヶ月見ぬ間に、ずいぶん立派になって・・・要塞のようになっていて、唖然とさせられる。 ガザ自治区側に入り、NGOが手配していたタクシーに同乗させてもらい、ガザ市へ。 国連職員のNさんと会い、ホテルの食堂で遅い昼食をとる。 このホテルは海岸沿いにあり、目の前には地中海が広がっている。 ガザというと暗いイメージがつきまとうが、ここは実は本来、地中海を臨む美しい地なのだった。 夜は、Nさん、ガザ出身の友人Iと共に遅い晩飯。 Iは昼間はNGOで,夜は病院の事務をして働き、家計を支えつつ、結婚資金を貯めている。私がガザを4ヶ月離れている間に、彼は念願かなってイギリスへの留学が決まっていた。 パレスチナでは、高等教育を受け、向学心のある者の多くが、留学の道を目指す。それが、より良い暮らしを掴むための重要なパスポートになっている。その後は、幸運にも外国での在住許可が得られる場合は別として、修士や博士を取ってハクをつけてパレスチナに戻り、大学で教えるか、国際機関、外国NGOで働く、というのが算段だ。 とにかく、職がないのだ、ここには。
by lusin
| 2005-05-01 17:48
| パレスチナ/イスラエル
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