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2005年 04月 27日
某社の特派員、Iさんと共に、ガザの入植地で行われるデモの取材に行く。デモをするのは、そこに住んでいるユダヤ人入植者と、彼らを応援するために他の地域から駆けつけるユダヤ人たち。 デモの対象は、イスラエル政府、とりわけ、首相のシャロン。 つまり、ユダヤ人が、ユダヤ人に対してデモをする、ということ。
イスラエルは、パレスチナ各地に約190の「入植地」というものを建設してきた。そして、そこには約45万人の入植者が住んでいると言われる。 この入植地という言葉はあまり馴染みがないが、これを、乱暴にたとえてみる。 日本は敗戦後、アメリカの占領下におかれたが、それが現在も続いていると仮定。 で、その占領下で、アメリカがたとえば北海道に「アイダホ入植地」というものを作る。そこにかつて住んでいた道産子は追い出され、もはや北海道に立ち入ることはできない。アメリカン入植者のための町。そこに近づこうとする日本人は、容赦なく射殺される。 京都には「リンカーン」、神奈川には「ニュー・カリフォルニア」という入植地ができる・・・。 ちなみにこれは、完全に国際法違反。 で、話を戻して、今日のデモ。なぜ、そのガザの入植者や、その他のユダヤ人がデモをするのかというと、首相のシャロンが、ガザの入植地を撤去する、つまりはパレスチナ人にその土地を返す、と決めたから。 で、デモ参加者らは、「そんなことは許さじ、ここは俺らの土地だ」「シャロンは裏切り者、売国奴だ」というわけ。 この「ガザからの入植地撤退」は、もろもろの政治的背景や思惑があって、決して手放しで喜べるものではなく、シャロンの英断でも和平路線への転向などでもないのだけれども、少なくとも、ガザのパレスチナ人にとっては、歓迎すべきこと。 入植地を守るため(だけでもないが)イスラエル軍がガザに駐屯しているが、どれほどのガザのパレスチナ人がその兵士たちによって殺されてきたことか。 で、再び、今日のデモ。 「超正統派」と呼ばれる、例の黒ずくめの人々が集まり、気勢を上げるのかと思っていたのだが、肩透かしを食う。 大部分が一見ごく普通の人々で、陽気にピクニック気分でマーチをしている。 ベビーカーを押すお母さん、子供を肩車するお父さん、はしゃいでいる娘さんら。 しかも、関係ないが、イスラエルの女の子はむちゃくちゃかわいかったりする。 Iさんと共に、あれれ、と。 パレスチナ側のデモは、もちろん場合によるけれど、時にイスラエルやアメリカの国旗を燃やしたり、タイヤを燃やしたり。 バナーを掲げ、あらん限りの声でスローガンを叫ぶ。時には、空に向けてライフルを連射する。方や、今日のユダヤ人のデモ。やる気、あんのかいな、と。 いわゆる、「平和的なデモ」というやつで、よろしいことなのだが。 Iさんと冗談で「シャロンの棺を燃やすくらいやってくんないとなあ」と、不謹慎極まりない。 が、ひとたび、彼らに話を聞いてみると、大変なことになる。 「ここは、私たちの土地です。聖書にそう書いてある。 パレスチナ人は、21あるアラブの国のうち、好きなところに出て行けばいい。彼らにはここでの権利などない。 私たちは、イスラエルを守る。 シャロンは、イスラエルを殺そうとしている・・・」 ・・・そんなこと言ったって、ここは、どう考えたって、もともとパレスチナ人が住んでいたと思うんですけど・・・ 「そうではない、ここはもともと、はるか昔、神が我々に・・・」 誰に聞いても、ほぼ同じ「模範解答」が返ってくる。 「私たち」と「あいつら」を明確に分けて、「私たち」のことにしか想像力を働かせられない。 一分たりとも、「あいつら」の主張は受け入れない。 しかも切ないのは、4,5歳の子に聞いても、同じ答えが返ってくること。 逆に、より過激だったりする。 「パレスチナ人なんか、みんな殺しちゃえばいいよ。」 うーむ。 こういう姿を見ると、言いたいです、「宗教は、ハタチまで禁止」と。 このデモは、入植地内を行進する、という形だったのだけれども、この入植地に隣接して、パレスチナ人の居住区がある。 普通は、入植地はしっかりと壁やフェンスで囲われていて、パレスチナ人居住区との接点はないのだけれども、ここは、まさに地続きになっていて、驚かされた。行進していると、いつのまにか沿道にはパレスチナ人の家々が。彼らは複雑な表情で行進するユダヤ人を見ている。 で、非常に印象的だったのは、ユダヤ人たちは、誰一人として、そのパレスチナ人に意識を向けないこと。 もちろん、あいさつしろ、などということではなく、彼らの信条からして、パレスチナ人には敵意や軽蔑の感情があると思うのだけれど、実際にすぐそばにいるパレスチナ人に対して、それらの感情を全く見せない。感情を抑制している、というよりは、目の前にいる、彼らの「敵」であるはずのパレスチナ人が、まるで視界に入っていない、と言ったほうが近い気がする。 罵ったり、ここから出て行け、と叫んだり・・・その方がよっぽど、ある意味、自然のような気がするのだけれども。 ユダヤ人は、ユダヤ人同士で楽しく和やかに行進をしていて、パレスチナ人の存在をまったく認識していない。その様が、何やらとてもショックだった。不思議で、不気味だった。 しかし、デモ参加者は、日本人である我々には、とても友好的だった。 エルサレムで接するユダヤ人より、よっぽど愛想が良い。 こんなに1日にたくさんのユダヤ人と話したのは、初めてだ。 宗教や政治のことに触れなければ、彼らは本当に、気のいいおっちゃんやおばちゃん、姉ちゃんに兄ちゃんだった。気さくに、「おお、日本人か? 一緒に写真撮らせてくれ」「何? ジャパン? ジーコは、どうだ?」と。 エルサレムでは、ちょっとあり得ない。 そういう点では、ユダヤ人に対するイメージが、別の意味でも大きく変わる。しかし、同時にその彼らが、「パレスチナ人は人にアラズ」との固い信念を持つ。 今まであまり接することのなかった右派のユダヤ人たちの両極端な側面に触れ、困惑。俺もIさんも、今日の体験を、どう消化していいものやら分からず・・・。「とりあえず・・・かわいいイスラエリのお姉ちゃんとたくさん話せて良かったですな」、と、あまりにトホホ過ぎる会話。 エルサレムから参加したというユダヤ人の兄ちゃんが携帯番号をくれたので、今度、エルサレムで茶でも飲みつつ、いろいろ話してみようかな、と思う。
by lusin
| 2005-04-27 17:50
| パレスチナ/イスラエル
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