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2009年 10月 10日
友人の死を知って、一週間あまりが過ぎた。
あまりに急なことだったので、未だにまるでぴんとこない。 佐藤レオさんとは5年前にエルサレムの安宿で出会った。 彼は仕事を離れ、エルサレムで途中下車したバックパッカーで、 僕は会社を辞めて、パレスチナの大学のコースに通う学生だった。 その安宿には、様々な国からやって来た、 様々な目的を持った人々がひしめいていた。 僕達は愉快で一風変わった仲間たちと共に、 そこで合宿のような、激しくも楽しい日々を過ごした。 その時の彼は、本当にイキイキとしていた。 その後、彼も僕もパレスチナに深く関わっていった。 彼は後にパレスチナを再訪し、ビリン村を取材して 「ビリン・闘いの村」 というドキュメンタリー映画を作った。 同じ対象に関わる仲間を失うというのは、 こんなに寂しいことなのか、とあらためて思う。 もっとも、彼との思い出で今まっさきに思い出されるのは、 なぜか、野郎二人でポニョを観に行き、 その後熱くポニョについて語り合ったことだ。 ・・・あれは熱かった。 でも、そういうレオさんの記憶以上に、頭から離れないのが、 先立った息子の部屋で、遺品を黙々と片付けるご両親の姿だ。 僕は、そして彼の周囲の親しかった人々もきっと、 まだ気持ちの落ち着き先がなく、うまく悲しむこともできず、 もやもやとした後悔ばかりが残っている。 彼は、不器用で、とてもまっすぐで、気前がよくて、優しくて、 時に融通がきかず、弱さを抱えていて、そしてとても強かった。 彼の強さと弱さは、きっと背中合わせだったんだなあ、と思う。 もっといろいろ話したかったし、きっとそうするべきだったし、 もっと一緒にいろいろしたかったな。 陳腐な表現だけど、なんだか宿題を残された気がしている。 訃報を現地の友人に伝えると、ビリンの村人たちが昨日、 金曜日の恒例のデモの中で、レオさんを追悼してくれた。 それを見て、彼はどこでどう感じてるだろうかな。
by lusin
| 2009-10-10 12:32
| パレスチナ/イスラエル
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