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2009年 07月 21日
友人のRは、他のパレスチナのほとんどの若者同様に、
ガザを出ることを夢見続けている。 28歳の彼は、早く大人になることを求められるこの地で 「若者」 というには、年をとりすぎているかもしれない。 でも、外国行きの夢を真剣に追い続けているという点では、 まだ彼を若者と呼んでも差し支えないような気もする。 彼はこれまで、メキシコ行→アメリカに密入国・・・ というエキサイティングなプランに人生をかけようとした時もあるが、 その後は、より現実的なマレーシアへの留学を模索していた。 そして彼は実際に、そのチャンスをつかんだのだった。 ・・・がしかし。 さあガザにサヨウナラ、検問を通りイスラエルに、外の世界に、 というまさにその日に、ガザの武装勢力がイスラエルにロケットを撃ち込んだ。 そして、検問通過の一行はガザへと連れ戻されてしまったのだった。 ガザはイスラエル以外にエジプトとも国境を接している。 その後2度にわたり、今度はRはエジプト国境からガザを出ようとした。 イスラエルのみならず、アラブの同胞・エジプトもガザの封鎖に加担する中で、 いつになるか分からない国境が開く日を、今か今かと待ち続けた。 そして、「国境オープン」 の知らせが届くと、彼は即座に駆けつけた。 が不運にも、エジプトへの扉も、Rには開かなかった。 国境が開き、ガザを出る指定された「正当な」 理由があったとしても、 皆が皆、通過を許されるわけではない。 すべてはエジプト側の御心次第だ。 Rの周囲には、泣いてエジプトの係官に懇願する人々が大勢いた。 「ヨルダン川西岸でイスラエルがやってる検問みたいなものだ」。 ガザの人々は、イスラエル以上に、エジプトを憎々しげに見ている。 そして扉は開かぬまま、Rの留学のタイムリミットは切れ、 彼はマレーシア行きを、外の世界への機会を棒に振った。 ガザを去ろうとする若者の心情を、Rはこう語る。 「自分が住んでいる世界が閉ざされた監獄だとしたら、 その外に出てみたいと思うのは自然なことだろう?」 そりゃそうだ。 特に若者にとって、自由がどれほど大切なことか。 古今東西、人々は自由を得るために、 文字通り命だってかけてきた。 それはもちろん、パレスチナでも同様だ。 一方で、「現実的」に考えれば、 どうやら勝ち目のなさそうな戦いに身を投じるよりも、 不自由なその世界から抜け出し より人間らしい人生を送れる場所へと出て行く、 というのもまた一つの選択だ。 周囲をふさがれ、外の世界に出ることを許されない。 モノや食料を自由に出入りさせることさえできない。 あまつさえ、いつまたイスラエルの侵攻があり、 ミサイルが降り注ぎ、見境なく命を奪われるのかも分からない。 ・・・というのは、日本からはあまりに遠く、 どうにも想像しがたい世界なのだけれども、 いったい誰が、何が、こんなことを許し続けてるんだろうか。 人々が次々とガザを、故郷を去っていく。 切ない限りなのだが、そんなヨソ者の思いなど、当事者には関係ない。 特にRは、封鎖だけではなく、保守的なガザのイスラム社会に対しても 不自由を感じていて、それが外の世界への思いを一層強くしている。 そして今、彼は再び外国への切符を手に入れた。 キプロスの大学院への留学資格を得たのだ。 もし念願かなって地中海の美しい島国、キプロスに渡れたら・・・。 メキシコに惹かれて以来、ラテンアメリカに興味を持つ彼は、 「サルサを習いたい」 とのこと。 社交ダンスでもいいらしい。 ガザでは許されない、自由な恋愛を謳歌したい。 現地で結婚して、何とかそこに留まりたい。 キプロスで待ち構えているであろうロマンスにそなえ、 ジムに通いシェイプアップをしてきた。 さらにガザで視力矯正手術も受けた。 奥手な彼いわく、めがねとサヨナラして、 「積極的に女性にアプローチできそうな気がする」。 相変わらず、ちょっとズレた用意周到ぶりだが、 本務である大学院での学業の予習もすでに進めている。 キプロスでの第二の人生にそなえ、準備万端。 あとは、エジプトの扉が開くのを待つのみ。 今回のチャンスのタイムリミットは、9月中旬だ。 今回ダメだったら外の世界はもう求めない、と彼は言う。 「開くか開かないか分からない扉を待ち続けるのは、 本当に苦しい。いっそのこと、ガザに腰をすえて生きていく、 とあきらめれば楽になる」 それに何より、この社会の中で、いつまでも結婚もせずに 外国行きを夢見ることを、家族がもう許してくれない。 ガザでは、Rは結婚して子供の一人や二人いて当たり前の年だ。 今年ガザを出ることができなかったら、ここで結婚して、 家庭を築いて、ふつうに暮らしていくつもりだと言う。 「もし出られたら、またガザに戻ってくるかって? 監獄の中に自分から戻ろうとする人間がいるかどうか、 考えてみたらわかるかもしれないな」。 もちろんRは、ガザが 「ふつうの国」 になった暁には、 故郷に戻り、祖国の発展に貢献したいという強い思いも持っている。 そのために、外で多くを学びたいという並々ならぬ意欲を持っている。 それこそがRが本当にしたいことなのだ。 でも、そんな日は残念ながら、 なかなか訪れそうにもない、とも彼は思っている。
by lusin
| 2009-07-21 19:50
| パレスチナ/イスラエル
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