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2009年 02月 21日
村上春樹が、エルサレム賞という文学賞を受賞した。この受賞に関しては、イスラエルのパレスチナ政策を批判する立場の人々によって、受賞拒否を呼びかける運動が行われていた。
はたして、村上さんは賞を受け取り、そしてエルサレムの地で語った。そのスピーチの中で、イスラエル軍によるガザでの多くの民間人の犠牲に触れたうえで、彼が語った言葉。 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立つ」 「この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です」このようにして村上さんは、彼の地で、明白に、イスラエルがガザで行ったことを批判した。これは決して容易なことではない。さまざまなプレッシャーがあったことだろう。何より彼は作家で、自分の紡ぐ物語を多くの人々に届けるのが仕事なのだ。「批判」することによって、イスラエルの読者とのその通路が絶たれてしまうことは、彼の立ち位置からすれば、非常に苦しいのは当然だ。仮に、その読者がどんなに「間違って」いたとしても。僕は正直、彼がここまで踏み込んだ表現をするとは思わなかった。そして、続けて彼は、「私たち」 について語った。 「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。私もそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです」「壊れやすい殻の中の、個性的でかけがえのない心を持った存在」としての「私たち」。そして、それを押しつぶしていく「システム」。それらは、彼が作品の中で繰り返し語ってきたことだ。 この卵と壁の暗喩は、幾通りもの解釈が可能だ。受け取る人の数だけメッセージが存在する。自らの内を見つめることを要求する。それは、小説家が発する言葉として、とてもふさわしいものだと僕は思う。 僕がこのスピーチに深く共感するのは、あの紛争の中で壁に押しつぶされている卵は、パスチナ人だけではない、ということもほのめかしている(と僕は受け取った)ことだ。ガザで多くの民間人の命を奪ったイスラエル兵自身も、壊れやすい殻の中に入った卵なのだと思う。そして、彼らに「他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ」 ているのが、まさに彼の言うところの、壁、システムだ。そのようにして、押しつぶされていったイスラエルの卵を、僕はいくつも知っている。もちろん、それをはるかに上回る数の、無残に踏みつぶされていったパレスチナ側の卵も、幾度となく目にしてきた。 彼がイスラエルに足を運んだ理由は、イスラエルの人々と「意義のあることを共有する」ためだと言う。そのための綱渡りの問いかけを受け取れるイスラエル人は、今の状況下では、ひょっとしたら驚くほど少ないのかもしれない。けれど、その普遍的なメッセージは、彼が拒否し、沈黙し、あるいは批判に終始するよりも、はるかに多くのことを、多くの人々に伝えたはずだと僕は思う。 「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵の側に立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。」村上さんが、「正しさ」の土俵から語っていないことにも共感する。壁が「正しい」ことも、卵が「正しくない」ことも、もちろん多々あるだろう。それでもなお、卵の側に立つ。 多くのイスラエル兵は、「正しくないことをした」卵なのかもしれない。同時に、壁の一部なのかもしれない。そのことは、私たちに問いを投げかける。そのような卵の側に立ちつつ、壁に抗うことはできるのだろうか。そしてもちろん、壁はここ日本にもいたるところに存在して、多くの卵が踏みつけられ続けている。私たち自身も同様に卵であり、また壁の一部なのかもしれない。 その壁は「あまりに高く、強固で、冷たい存在」であるがゆえに、「どこから見ても勝ち目はありません」と村上さんは語るけれど、その後で、こうも語っている。 「もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう」村上さんは葛藤の末に、彼の地に足を運ぶことを選び、直接イスラエルの人々に、そして「私たち」にメッセージを伝えることを選んだ。そのことを、僕は率直に、一読者として、日本人として、パレスチナ・イスラエルに関心を寄せる者として、とても嬉しく思う。 ※スピーチ全文はコチラ。ぜひ読んでみてください。
by lusin
| 2009-02-21 02:38
| パレスチナ/イスラエル
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